この国の民意が他の国より極めて優れているように感じられるのは古代からの一人ひとりに浸透したDNAが個々人の魂に語り掛け、精神を励起させるからではないだろうかと時折、思ったりする。それを保持し伝えて政治を背後でプロデュースしてきた黒子の精神性が・・・、この国のある人々が無意識のうちに受け継いであおり、古代からのこの国の理想の国つくりに歴史劇のシナリオを達成すべく背後で黒子となって、日本中を駆け巡ったのではなかったか。鎌倉殿の13人という大河ドラマがこの時期、放映されるのはまさにその表れのひとつかと思ってしまう。この時代を忘れるなとね。◆東北の地にも多くの、都の、あるいは時代が動くその時世を感知し祈り、この国の安寧を願う修行に励む多くの修験者が、多数、山々にいたのである。この時代は、日本仏教のアイデンテティーがあった時代ともいわれる。東洋人として情緒性には西欧とは異なるところは確かにあるようだけれど、隣国のように情緒が政治を押し流すようなこともないが、反対勢力もなければ政治はバランスをも取れないものだということも知っているような国民性にあるように思われる。それは、この国のネットワークを持つ黒子が周知していたものであった。◆それは哲学者ヘーゲルの精神現象論のような内容なのだろうか。しかし、彼らは空論ではなく事実にこの国の歴史に加担して来たのである。いずれ現生において、舞台上で切った貼ったを演ずる無謀な役者たちがいなければ事はまったく前進しなかったのだから。彼らはそういう動物の雄としての、権力、優位、排他などの生き物としての生命の淘汰性を考慮して、時代を作る若者を択び、それはまさに旧約聖書の預言者が神から示された若者に油注ぎをするように、黒子たちの精神は古代から神をつかさどる仕事を占有していたそのDNAを生かすべく、択び、立て、動かし、古来、東北に散らされた黒子達がいざという時に結集したのだ。「いざ、鎌倉へ!」この言葉を知っている人々は、そのDNAの大元がどこからきているのか知ると驚くかもしれない。彼らは、元をたどれば大陸から来たそのDNAが旧約の民(ユダヤ人)であったというのである。古代この国の関東、東国の歴史は殆ど語られておらず僕らも学校でならうことは少ない。むろん、大陸で長い歴史を通じてそのあり様は変貌しているけれど。部族間の争いは旧約聖書の歴代や列王記などを読めばさもありなんと思われてくる。その黒子となって神の言葉として王を択び、預言し政に生きているそのことばを伝える、あるいは政治の中枢に入り込み貢献していく、そぐわなければ排除する。非常に優秀なかれらのDNA。◆僕らは、日本の歴史の多くをその基を多くは政(まつり事)の周辺に習う。けれど、鎌倉時代は、東海、関東に多く帰化し同化していた、あるいは東北の山々において修行を重ていた渡来人し帰化し感化を受けた者たちなのであった。東国武士、関東武士とは、まさに彼らがそのDNAをもっていた者たちなのである。時世が神の御心であれば、人の正否にかかわらず、立て、あるいは滅ぼすに結集する。イスラエルの国歌に「東へ行こう」と歌われている歌詞はこの日本のことではないのか。東の果ての島々に行き、彼らは木や石の神々を拝むであろうと、旧約聖書には書かれている。