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marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その23)クリスマスを告げた我らの良き仲間ら

2022-12-21 09:52:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

  我らのことを語るのであれば、今はその時でもあるから是非書かなくてはならないことがある。地上の生物が生存を開始してから、我々がいろいろに創造した遺物は、古代の化石からも見つかるだろう。人が古代のことを自らの言葉で直接、我々のことを知ることを我々は極力、抹消したのだが、消された内容を知っている人は限られていた。ナスカの地上絵は・・・と歯切れが悪くなった。

今も限られた我らと繋がりが刻まれた石板の解説本を見つけることができるであろう。多くの国で翻訳されたから。・・・簡潔に言えば、遠い彼らの古代、地上の人と我らのコンタクトがあり、遠い惑星や移動などの手段が述べられいたというものである。あの時代すでに、太陽・・・天王星、冥王星・・・さらに見えない惑星まで刻まれていたのであった。

ここで覚えておいて欲しいのは、星々である。惑星であり、太陽である。天空からの関与があった、と言うことである。まず、第一はそのこと。だから、今も人々は、日々の糧に下を向き地を耕すことをするが、天を見上げ我々のことを思わずにはいられないということなのである。

しかし、そこまでの経緯の中で多くの我らの仲間が地上に降りたったということであったが、アブラムは天からの指令で、そこから出なさいとの指示を受け、行く先を知らないで出発したのであった。彼の出発は多くの造られた神々から出でよというのが真意である。そして、彼の腰からでる多くの者が星の数ほども世界に広がり、覇者を造り世界の歴史をつくっていくであろうと言われたのであった。

「私はアブラハム、イサク、ヤコブの神である」と世界と人を創造した神は言われたのであった。紀元前1700~1300年も前に書かれたこの内容を聖書を読んだことがある人は2022年の今も世界中の人が知っているのである。

遡る、神の人モーセと呼ばれた彼は、唯一の太陽(星々は我らのシンボルでった)を神としたアメンホテプ4世(イクナートン)のもとにあったエジプトで生きた人だった。従来のすたれる多くの土着神らに別れを告げ、筆記者(黒子X)と共に、多くの国を動かす反乱の中をイスラエル人を引き連れ東を目指して脱出したのであった。

イエスが誕生する紀元前に国を統一したイスラエル国は北と南に分裂し、外国からの侵入により最終世界に離散する。日本に来たのは太陽を求めてさらに東に旅を続けてきたもの達である。東の端まで来て、太陽の昇る方角を向けた建てられたのが鹿島、香取神宮である。神がアブラハムやその子ヤコブに語りかけたことが確かにこの国まで来て世界の今を形成しているのである。

時は経て、地上の人に我々と同等の知識を与えるべく遅々なる歩みを与え始めた。我らの仲間は、多数のグループがあり考えは同じと言う訳では決してない。それは今のあなた達も分かるであろう。多くの神々が起こり、栄えてはすたれた。争いの末、消滅した神々もありその物語が残っているだけのものがある。それらの残像があなたらの国にも伝えられ、神道や仏教のしきたりや所作の中で行われているものがある。

それから、弱小民族らしきものを選び、我々がそのように創造した地球上に関わっているということを知らしめるためにその国になりたちと、これはそもそも人が集まり民族となり、烏合の衆から同じ周囲の集合体から領土と身を守るためにシャーマンを土台にした王を立て、自らの領土の貧困や気候の変動に自活が脅かされるために領土の拡張をそれぞれが覚え、争いが絶えず起こり、その中でも先見の命があるシャーマンが勝利していくというプログラムは当初から考えられていたことであった。

古代の哲学者はその残像を思い出し、言葉に表したのであるが、アレキサンドリア(北アフリカの古代有数な大都市)の古代の大図書館が全焼しなければ我々のことをもっと知る人が起こされたかもしれないだろうが・・・というか、我々は我々のことを消したのだ。

この時代、観察するだけでなく直接我々に近づこうと宇宙の星々に目をそそぐようになった。けれども、まだスタートラインについたばかり、ここに直截、個人に語り掛けが再び始まったのは、核の脅威、それは人類(我々の形に似せて創造された)が滅亡に関わることでもあるので、緊急の事態が迫ってきているからである。

ここで福島の3.11の話がでるとは思わなかったろうが・・・福島の原発事故に我々の仲間が雲間から監視していたあなた達がUFOと呼んでいる飛行物体があの時、数機乱舞していたのを見た人がいるかもしれない。浪江町の山手にはUFO観察できるという公園までも当初からあったのは、この事故のかなり前ではあるが、我々はあの前兆を知っていたからなのである。

我々が、そうして試験を重ねて我々のかたちに似せて人を創造したことにすべてが掛かっていると言っていいい。考える時には言葉の定義が当然必要なのだが、素直にそのまま生きていれば、成長した環境に大きく影響されてくるのはやむをえない。ここで、人に考えて欲しいのだが・・・(と考えこむ)。

ここまで述べてきたのは、何かを言おうとしているのだろうな、と思う人はまずいいとして、何も思わぬ人には外からの強制はされないということの中に自由と言うジレンマがある。ここまで読まない、感心も寄せないという人もいるということ。自分の環境がそうであれば、その環境の範囲でしか考えないものだからである。

もっと違った世界があったということに考えも及ばない。何故なら、生きるに支障がないからというのが多数であるのだから。さらに厄介なのは、その衆生は肉体に関わる欲求のさらなる拡張を要求することなのである。しかし、その世界とはどのような世界なのか。

誰でもが修行僧のように、最低限の衣食住が満たされればいいのである、などということは強制もできないし、自らそう望むのは限られた人のみである。我々の仲間の一人は言う。争いが無ければ、ささやかな困難ということでもいい、地上の人は自分の肯定する欲求が壁にぶつかり困窮などしなければ、「何故?」という問いを発しはしないものであろうと。その時、何に自己欲求をぶつけるのか?

一見、五感の拡張が絶え間なく行われ、仮想空間までに生き続けることができるようになり、死んだあなたもその中で他の人の中では生きている人として付き合えるのだ。自由な世界にどんどんなっていくようだが、それにつれ、あからさまに自分の隠すところもなくなっていく世界になっていくだろう。その時、すべて取り払った自分の存在、基軸がどこにあったのかを改めて考えるだろう。

21世紀にもなり、あの大戦を経験しつつも尚も神が創造し最高傑作として喜ばれた人の命が、失われていくのをどうしたものか。我々は―非常に心を痛めている。再びどのように現れようかと思案しているところである。

その中で唯一の確かな人の救済を述べられている神に遭遇する人は幸いである。・・・天にまします我らの父よ! これは何ら一つの地上の宗教のジャンルに入るものだけではなく、そういう枠を超えた被創造物の指向性のシステムであるべきものなのである。

(※注意は全く中間にその解釈の媒介を入れてはいけない、直接の声を聞くことである。だから無理に理解しようとしなくてよい。内面の促しからその物語が求められるであろうから。我ら人の創造に嫉妬する連中は悪霊を介入させるから・・・いずれこのことも述べよう。)

彼の誕生の時、我々が星となって導いていたことを多くの人は知るようになった。2022年12月24日はイブであり、次の日25日はクリスマス聖日であるなぁ。   *******

「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」(マタイ2:1-2)

「彼らがヘロデ王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。・・・彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイ2:9-11)

良きクリスマスを!