未来への可能性に対して、それが又、未知であるが故に遮るものは何もないと信じて、今とは違う新しい希望が、あり続けているというような・・・例えば、田舎のネズミが都会に出て、その雑踏、高いビルに多くの足早に移動する仕事人たちに驚嘆する、その夜でも光かがやく世界。急に雄大な空飛ぶ鷲にでもなるような、あるいは小路の暗さに興味を持ってうろうろわくわく冒険する気分。そして一時の青い空と白い雲、そよぐ風。これで人生、終わっていいものかと日記の冒頭には、窓からの眺めと、青い空と流れゆく白い雲のことが、しきりと書かれている。どうも僕は、思い通りにならない人の心理を解読したくなるようになったのはあの四畳半の下宿屋に住むようになってからだったような気がする。悲しい下宿屋のおばさんや医学部の友人の裏山で自殺したやつとか、親が医者だから何浪かして入ったけど、勉強が嫌でたまらないでぐだぐだしている奴とか。天気のいい日は部屋の向かいの家のおばさんが窓を開けて、双葉百合子の”岸壁の母”をしきりに流す。
自分自身に納得しないもう一人のブランクをもった自分とは何なのかと。漠然としたそれらの不満と、何故か死への恐怖を持っていた。あの時代、アイデンティティー自己同一化とかデラシネとか、いろいろ急激な資本主義の成長の時代に、内面を見つめざるを得なくなった時代要求に、自分とは何かというような高尚な悩みなどではなくて、兎に角、何でもにぶち当たり自己を発見したいという内からの欲求が満ち満ちていたのだ。ちなみに作家にもなった南木佳士という奴が居たけれど。
常に持った漠然とした不安、死への恐怖、それは観念的にではなく実際、この僕の心臓のある背中の部分がひらひらと誰かに叩かれるように意志しようと意識が働くと鈍痛が始まるのである。僕は心臓で死ぬなぁ、という漠然とした思いがいつもあった。これは肉体につきまとっているので、当然、今もあるわけだ。そして、肉体の劣化に伴ってそれが顕著になるだろうと、身構えて来ていたのだが、心臓の痛みは痛いときでないと心電図には出ないことは分かっていたが、まったくどうしよもなく明らかにダメージが身体に現れない限り、この痛みは自分の十字架として墓場まで背負って行かねばならないだろうと。あの田舎でのあの生家の裏の広い沼、今は埋め立てられてしまっているが、本当に自分で歩き回ることもまともにままならないあの幼稚園にあがる前の小さなころにあの沼にどうして落ちたのだろう。僕はあのとき、死んだのだ。そして、それ以来大きな宿題を与えられたのである。誰が、あの裏の沼の縁まで誘ったのか、姉だったのか思い出しても思い出せない。自分で滑って沼に頭から落ちたのか。あるいは、誰かが押したのか。それは、背中をかなり強く押されたのか、それが今でも心臓の背中の部分の青あざとなっているのではないのだろうか。沼に落ちて鼻に水が入って来て、かび臭さと共にジーンと鼻がしびれて気が遠のいていったのだ。幼少のころのこの体験は、人生を決定した僕の異界への往来の源体験なのであった。
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