寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

今日は何の日

2022年08月24日 05時51分28秒 | 笑い

  おはようございます^^

今日は何の日 というジャンルがあります。

ネットは便利ですねぇ、あちらこちらと調べているうちに 若山牧水が享年43歳の人生の幕が下りた日でした。

 白玉の 歯に沁みとほる 秋の夜の 酒は静かに 呑むべかりなり 若山 牧水

 牧水はどうもお酒飲み出あったようで死因は肝硬変、今なら健康診断の検査結果が出て たちまちドクターストップ。

もう一首、これは中学校の教科書に載っていたと思うのですが、

白鳥は 悲しからずや 海の青 空の青にも 染まず ただよう  若山 牧水

 これを見て なんてきれいな歌だろうと子供心に感心をしました。

最後に

石川や 浜の真砂は尽きぬとも 世に盗人の 種は尽きまじ  石川 五右衛門

こちらは戦国末期の大泥棒 石川五右衛門が釜茹での刑に処された日でした。

当時は連座制があったらしくて本人は元より親類縁者二十人も三条河原にて烹殺(ほうさつ)された。

と記しています。尾籠な話で恐縮ですが釜茹でを江戸時代には 烹殺 といったそうです。

朝から 濁った話題になりました。明日はもう少し愉しい話題にしましょう〜

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処暑(しょしょ)・・

2022年08月23日 05時58分36秒 | 笑い

   おはようございます〜

皆な様 残暑のお見舞いを申し上げます。

今日は処暑。 二十四節気の中では 目立たない節気です。歳時記によりますと

ここら辺りから夏の猛暑が少し…ほんのチョッピリ暑さが和らぐように なるそ

うです。

でもまだ八月ですから ご油断召されるな。。

例年お盆辺りから猛烈な雨に襲われるようになりました。

記録的な大雨を短時間大雨情報で公表しますが、自身と関係ない地域

ですともう見ません。冷たいねぇ と言われても こればかりは

素人の私らでは 手の施しようもありません。

線状降水帯が私の住んでいるところにも発生をしました。

ですから、その後にバケツからぶちゃけたような大粒の雨が降ってきて

これは大変なことだ、と思いました。

幸いにも 雨は僅かな時間で収まりましたが、あの調子で

一時間も降れば 何かしらの災害になってもおかしくないと

女房が呆れた顔で喋っていましたが、

私は、どこに あんな大雨の元を貯めている雲があるのだろうと

空を見上げていました。

そんな私を見て あんた 、どうしたの?なに見てるの、と女房が

訝(lぶか)しげに言うのです。

何って…私は、雨のタンクはどこやろう…と話すと   呆れたように

家に入りました。女ってどうして こう現実的なのでしょうかね〜

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独り言・・

2022年08月22日 05時47分24秒 | 笑い

おはようございます^^

最近 お天気が荒れています。ですが外の虫の音が聴こえだしてきて ‥ボチボチ秋だなぁ と思うようになりました。

これまで どれだけ暑くても又凍えるほど寒くとも 次の季節は順番が空くまでジッと待ちながら時期が来たら必ず滞在をしてくれます。

これの繰り返しを四季と言うらしいのですが、私は最近季節に合せる億劫さみたいなものを感じて来てたぶん歳を取った所為(せい)からきたのでしょう

何かにつけとても気短になっているようです。

 穏やかな気候が待てない、三寒四温に耐えられない、人の粗(あら)が目に付く などなど精神的には幼稚性が大きくなってきてるんじゃぁ

ないかと思います。

恐ろしい事ですねぇ、自身の性格や考えが極端な妄想に冒されているようです。

これは…今のところ人から指摘されてはいませんが、平静になって考えると 短期、独り善がり が顕著(けんちょ)になっている気がします。

先日米国のドラマを観ていたら、会話の中でスピーキング マイセルフと言うのがありました。

字幕を見ると 独り言 とあって英語は学校の時から好きな科目でなかったのですが、このセリフはなんとなくですが理解できました。

そして米語は単語を並べたら言葉になるから単語だけを数多く覚えたら何とか話せるのじゃぁないかと

そんな気も無いのに無責任に思い込んでいます。 

 日本語では確かに独り言とはそのままひとつの言葉ですが、この言葉を知らなかったら ひとり…??なんですか?になるでしょう。

ところが米語ではひとつずつの単語さえ分かっていたら 何とか理解できるのじゃぁないかな^^

話しが少しゴテつきました^^

 それともうひとつ、他にもありますが今朝は これだけでお仕舞 という意味です。

おはよう、は米語で グッドモーニング ですね。これは初心者が習う言葉でしょうが、同じドラマを一生懸命に聴いていますが

モーニング としか言ってません。そのおはよう の場面は比較的よく出てくるので 気にして見ていますが、誰ひとり グッドモーニングとは

言ってません。それどころかモーニン で終わらせてる米人もいるのです。

中には ヤァ、トゥ、というだけで済ます米人もいますがその返事や対応は様々ですが 日本で未だに教科書にある和訳のおはようございます 

というのは皆無ですね。 そう言えば日本だって ドラマを見ていても おはよっスやもっと簡単ならオッスで済ます人やオッハーもありますよね。

私は言葉の略式化を嘆いているわけではないのですが、言葉は堪えず変化をしている、というのを偉い学者の先生が仰っていたのを覚えていまして

昨今の言葉の乱れを嘆くよりも一歩先に出て こちらから言葉を作りましょう、とお説を述べられていらっしゃいました。

ふ~ん  とその時は分かったような思いでいましたが ちよっと席を離れると もういけません。

さっきのは何だったかなぁ‥と思い返すのならまだマシで 全く跡形もなく消えてしまうこともあります。

そして いつか同じような記事を見た時に  ああ、と声を挙げてしまうのですね。たしかんこんな話題があって…う‥それからどしたんだろう…

悩んだり思い出そうと苦慮しますが、出てきません、それどころか  途中で あれ、何を思い出そうとしていたんだろう ??

こんなことで行ったり来たり  分からないことが分からない、など昔のことは覚えているのですが昔の人は偉かったのですねぇ、

と つい スピーキング マイセルフ‥^^

こんな話、読者の皆さんもきっと体験をされていらっしゃるでしょう、だから共感してくださいね というのを頼りに書いています(無責任でしょうか)

 

 

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美食か粗食か・・・

2022年08月19日 06時04分05秒 | 笑い

おはようございます。

昨日は お米の日、らしかった…ようです(笑)

とと…胡乱(うろん)な話で恐縮しますが、実はラジオでその話題を

話しているのを小耳に挟みまして  そうか、そうなんだ。と手のひらに

描いてみて 八月十八日   ……八十八  →米    う〜   なるヘソ(笑)と

ちょっとトンチ混じりでしょうけど、このおっちゃん 充分ついて行けました。

以前 落語のマクラで 同じような話題を持ち出したのを思い出しましたが、

その時は日付じゃぁ無くて お米は 八十八回もお百姓さんの手が掛かっているの

だから 粗末にしてはイケません。と諭す話でした。又 お酒の 酒坏(さかづき)

に米を入れて数えると自然に八十八粒が入っている。だから…ということではな

いでしょうが お米は尊い食べ物だからありがたく頂きなさい。

とまぁこんな話でした。古典落語のマクラに使われていたのですから、

背景はおそらく大正以前でしょうか。まだ現代のような食べ物は無くて

ご飯、漬け物、お味噌汁の一汁一菜の食生活だったでしょうか。

江戸の時代の武士の食事は正にそのとおりだったみたいで、味噌汁の具材とい

えば 大根、一菜のほうも大根、ネギ、豆腐くらいでお肉は宗教上の教えで

食卓には上がりませんし、魚は下級武士ではありつけないようでした。

このような食事は他の庶民も同様でしたが、果たしてこのような食事で

栄養が足りてるんかな?と心配しますが、おかずよりもご飯に栄養が

たっぷりあってそれで充分に足りていたらしいのです。ただし栄養を摂る為に

たくさん食べたようで大人で、お茶碗三杯から5杯を一回の食事で摂ってい

たそうです。この風習が習慣化されまして 私らの子供の頃…半世紀

前でも ご飯をいっぱい食べなさい、そうすれば健康だから…と教えられた覚え

があります。ご飯には僅かではありますがあらゆる栄養が入っていたのでしょ

うね。ただしそれらを摂取する為にいっぱいご飯を食べた、これは身体が求め

た自然の摂理だったのでしょうか。

それが今では ご飯はワルモノ に扱われています。

健康診断でメタボで引っかかた人が、健康相談を受けると 必ず言われるのが

ご飯は食べてはいけません。炭水化物はイケません。野菜を食べてください。

そして最近は鶏肉のむね肉を食べて下さい、それを何百グラムとまで指定され

ている、と聞いたことがあります。

ご飯はアカン、麺類もアカン、牛肉はアカン、モモ肉は絶対アカン、

アカン尽くしで 一体何を食べるの?と聞くと温野菜と先ほどの鶏肉のむね肉

こんな極端なメニューが現代医学で研究された対メタボの改善方法

なのでしょうから素人の私が口をはさむ余地は有馬温泉。。久々ですね(笑)

ただひとつ わからないのが昭和50年代ではメタボなんて病気はなかったと

思うしそんな大きな人もいなかった。

大相撲の力士でさえ 体重が130キロが精一杯でした。

それが今では平均が160キロ!それはそのまま一般庶民にも波及しているよ

うですね。

さてマクラは(前置き )これくらいにしまして 現代人がメタボに罹ったのは、

ご飯の食べ過ぎかな?   医師はご飯は、極力少なく と指導します。

ですが昔の資料を見ますと 先ほどのとおり 栄養を摂るためにご飯をたくさん

食べました。おかずは一汁一菜。

果たして現代医学の研究に基づいた健康志向の食事と昔からの伝統的な食事…

口の肥えた現代人にはどちらも美味しいとは思えませんよね。

  白米のおにぎりを持って山登りをして頂上で食べるおにぎりの旨さは

何ものにも代えがたい と聞いたことがあります。

確かにお腹が空いていたら何を食べても美味しいのですが、

空腹こそが一番のご馳走  ここに食事の原点があるのかも知れませんね。  

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終戦をふりかえって・・・

2022年08月18日 06時53分05秒 | 笑い

    おはようございます〜

終戦を迎えて 今の我々からは想像も出来ない大変な事がありました。

徴兵で海外や国内で務めた兵役から開放され故郷に戻る事を

復員と言いますが、召集を受けた兵員の皆さんが帰ってこられた風景を謳った

俳句がありました。

     八月や 駅ごとに 兵棄てらるる        後藤 紀一(1915〜1990年)

この方は 山形県出身、俳人、画家、詩人、芥川賞作家と才気あふれる人

でした。

戦時中、東京の人口は二百五十万人くらい。それが終戦時の動員解除や兵員復

帰などでたちまち4百万人にも膨れ上がり深刻な食糧難を来たしました。

この状態は全国おおむね似たような状況ではなかったでしょうか。

新聞では昨日の餓死者は何人と広告する始末。

今のコロナ禍の感染者数や死亡者数を上げている風潮が

似ているところありますがそれはそれ、当時の日本には外地からの帰還兵を

温かく迎える余裕などありませんでした。

歓喜の声に見送られて出征した故郷だったが、様変わりした無惨な帰郷を

謳っています。

それにしても命からがら帰ってきた兵士が、わが故郷の駅で下車してゆくのを

〈棄てらるる〉とは あまりに非道い表現だと思います。

それほどに迎える家族も疲弊していたのでしょう。

杜甫の詩「春望」の一節に       国破れて山河あり  城春にして草木深し…

とありますが

国家は破れ人民は離散しても自然の山河は昔のままだと作(な)しています。

日本の終戦八月、このころは灼熱の時期で帰還をするタイミングも悪かった

かも知れません。

    黙   祷

 

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