国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

「王」の看板を下ろせ!

2021-02-12 | 日記
Yahoo! JAPANのトップページに並んでいたこの記事を読み、「春(選抜)の2校目はいつ&どこだったっけ?」と思いつつ検索したらここにたどり着きました。4段落目のデタラメには開いた口が塞がらず。

「迎えた1回戦は比叡山(滋賀)戦。前年の大会でベスト8になった強豪校で、前評判は比叡山が有利だった。」

こんな事実は一切ありません。3年前の日記の追記2に書いていますが、正しくは「1978年の選抜で比叡山高校が大会史上初の完全負け→その翌年に滋賀県勢初となる夏の1勝(そしてベスト8進出)」です。こんな重大イベントの前後関係を逆にするとは! 県民として到底看過できませんし、ろくに調べもせずにこんな嘘八百(強豪校うんぬん)を並べ立てるような三文ライターを起用するサイトなんぞ高が知れてると言わせてもらいます。

ところで、近畿からは6校選ばれるという好条件にもかかわらず滋賀県勢の選抜出場は3年連続でゼロ。近畿大会でことごとく初戦負けなので仕方ないですが・・・・完全試合を喰らうほどの「最弱県」(注)からは脱したものの「並の弱小県」(もちろん近畿最弱)という状況は相変わらずです。(注:夏の大会が1県1代表になる前は、5年に1度の記念大会を除き、隣府県の代表校との決定戦に勝たないと夏の甲子園には行けませんでした。その京滋大会は5勝46敗、京都が毎年出場になった後の福滋大会が0勝4敗でした。その結果、全国唯一の夏の未勝利県に。ところが1県1代表となった最初の大会で比叡山がいきなり3勝。以後もたびたび上位に進出。決定戦のプレッシャーから解放されたお陰でしょうか?)

追記
 件のダメダメサイト(自称「野球王」)は早速対応したようですが・・・・・まるで修正になってない。(判ってみれば先述の嘘っぱち段落を削除しただけでした。小手先で済まそうという性根が気に食わん!)

「1978年3月30日。その日の第3試合で前橋-比叡山の戦いが始まった。試合は戦前の予想に反し、前橋が善戦を見せる。」

「戦前の予想」は言うまでもなく、前年の秋の関東大会で準優勝した「強豪」の前橋に「最弱県代表」の比叡山が挑むという構図だったはず。善戦したのはもちろん比叡山の方です。(さらに追記:調べてみたら比叡山は前年秋の近畿大会でベスト8でした。たしか当時は近畿から7校も選ばれていたと記憶していますが、それゆえ初戦に勝っただけでも出場できたという訳です。)
Comments (3)
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