国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

悶絶中

2022-09-30 | 日記

昨日は7回目の記念日だったため鉄板焼きでお祝いをしました。(追記:先ほどは書くのを忘れてしまいましたが、毎年同じことの繰り返しなので特筆すべきことは思い付きません。それゆえLindaにコメント欄で苦言を呈されてしまいましたが。)肉はアミカで買った見切り品の輸入牛肉(USAか豪州産)で、和牛より赤身の比率が高く(とくに筋の部分が)噛み応えも十分でしたが、その分肉を食ったという実感はありました(苦笑)。

飲み物として乾杯用に白のスパークリング(イタリア)、そして食事用にフランス(ボルドー)の赤を開けました。

後者のラベルの和訳です。この場合の「シャトー(château)」はもちろん城ではなく醸造所のことです。固有名詞の方はそのままカタカナ書きされていますが、強いて訳すと「美しい空気」なので縁起が良さそうという理由で選びました。

一方、右上の円形シールはこうです。どうやら7000万人に飲まれた模様ですが、7周年に因んだ訳ではなく偶然です。

この写真の父は別にこむら返りを起こしている訳ではありません。(そして私も全体像を収めるべく撮影しただけです。)床に落ちた箸を拾っているところですが、何でこのような苦悶の表情を浮かべているのか?

追記

これも貼り忘れてしまいましたが、食後のデザートは手製のケーキでした。二層構造でピンク色はスモモという手の込んだものです。ありがとう。

おまけ
 この夕食中、父にサプライズ事項を伝えました。ただし今後の情勢によって流れないとも限りませんので確定するまでは伏せておきます。
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎視眈々

2022-09-30 | 日記

このように今日が申請書類の提出期限です。

そして上がそのサバティカル制度の概要。給料を丸々もらいつつ授業や各種委員会の出席が免除されるということで、その間はどこかで研修を受けるため大学に来なくても構いません。私は作物の収穫と調査のため11月までは離れられませんが、それ以降の4ヶ月はボリビアとパラグアイに滞在してダイズの不耕起栽培とか高地作物のキヌアやアマランサスの栽培現場などを視察するのもいいな、と思っていました。(なお来年度も卒業研究の学生が付きますが、発表や論文作成の指導はオンラインで何とかなると楽天的に考えていました。)

そしてこちらはその「サバティカル研修細則第4条」で私はその資格を満たしています。(長期在外研修でナミビアに140日間滞在したのは13年前のことです。)むしろ1998年からここで働いているので(今年が25年目)、このくらいは当然の権利というかご褒美であり、さらに「研修みたいな変な縛りは設けず、海外のサバティカル制度のように無条件で休ませろ」と言いたいくらいです。ちなみに「対象者」の次の行には研修終了後も2年間は在職して本学に奉仕せよと書かれているため、それに従うならば申請できるチャンスは今年を含めてあと7年。で、昨晩Lindaにこの件を持ちかけ相談したのですが・・・・・

結論を言うと見送ることになりました。やはり父を置いて4ヶ月も家を空けることはできないのが最大の理由。また定員は各学部1名なのですが、今年度はうちの学科の先生が取得されており順番的に連続は難しいこと、そして昨日問い合わせて既に他の学科からの申請があるという情報を得ており、仮に応募してもはねられる公算が大ということもあります。来年度は重要な役職を引き受けなくても済みそうなので(一つは前任者に代わってもらうつもりでした)絶好のチャンスと思っていたのですが・・・・・焦らず次の機会を待つことにします。もう来ないかもしれませんが。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする