軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

内田康夫さん

2018-04-13 00:00:00 | 軽井沢
 作家の内田康夫さんの訃報を新聞で知ったのは、大阪滞在中の先月19日のことであり、その日の新聞によると、内田さんは3月13日、敗血症のため83歳で東京都内で亡くなったとのことであった。

 内田さんといえば、我々軽井沢在住のものにとっては、TVドラマの「信濃のコロンボ」や、軽井沢を舞台とするいくつかの小説でもなじみ深い。また、1983年(昭和58年)からは軽井沢在住中でもあり、戦時中には長野市の戸隠に疎開するなど長野県にゆかりがあるといわれる。

 内田さんの小説に関して言えば、私自身はそれほど熱心な読者ではなかった。しかし、広島県の三次に単身赴任していたころ、同僚のTさんが寮で内田さんの作品ばかりを熱心に読んでいて、私もその中から何冊か借りて読んだことがあったし、当時はまだたまにしか会うことがなかった母も図書館で内田さんの作品を借りてきていたので、私も自然にいくつかの作品は読んでいる。それに、私の2人目の孫娘の名前はサクラコ(桜子)だが、同じ呼び名の女性”サクラコ(桜香)”を題材にした小説「風のなかの桜香」をその頃、偶然読んだということもあり、共感を覚えたことがあった。

 内田さんは、1934年(昭和9年)、東京生まれ、コピーライターやCM制作会社の経営を経て、1980年(昭和55年)に「死者の木霊」を自費出版してデビューしている。この小説は、TVドラマ化されている「信濃のコロンボ」シリーズ第一作である。

 また、主人公が旅先で事件に挑むベストセラーの「浅見光彦」シリーズの第一作は1982年(昭和57年)刊行の「後鳥羽伝説殺人事件」であるが、この作品の中では、私が赴任していた三次市のJR三次駅の跨線橋が出てくるという設定であった。

 多作でも有名で、同時にいくつもの作品を新聞や週刊誌に連載していたことがあって、書き始めるときにはまだストーリーの全体像が決まっていないのだが、書き進むうちに次第にはっきりとしてきて、最後はうまくまとめ上げることができるのだと、何かに書かれていたことを思い出す。

 その内田さんをしのぶ献花台が3月23日から4月23日まで、軽井沢町の「浅見光彦記念館」内の内田さんの書斎を再現した展示場に設けられ、ファンが別れを惜しんでいる。私も妻と今月開店したばかりの店の定休日を利用して、10日に献花に出かけたが、浅見光彦記念館も生憎の休館日(火曜・水曜日が休館日)であった。


軽井沢町塩沢地区にある浅見光彦記念館(2018.4.10 撮影)

 この浅見光彦記念館は、内田さんのファンクラブのクラブハウスとして、1994年(平成6年)に建てられ、2016年(平成28年)からは記念館として直筆の原稿やテレビドラマで使われた衣装などの展示を始めている。

 ここには、以前まだ新潟県の上越で仕事をしていた頃にも、母と妹2人と共に来たことがある。そのときも建物の前の駐車場には、浅見光彦の愛車「ソアラ」が展示され、運転席には内田さんの写真が置かれていたのであったが、今回行ってみると、そのときと同じ状態でソアラが展示されており、運転席からこちらを見つめる内田さんの写真姿にハッとさせられた。


展示車、初代ソアラに乗る内田さん?(2018.4.10 撮影)

今回は、さらにもう一台の2代目ソアラが玄関前に展示されていた。


玄関前に展示されている2代目ソアラ(2018.4.10 撮影)

 この2台のソアラの内部、助手席には次のような説明文が置かれている。

 浅見光彦が乗る初代ソアラ。ソアラの初登場は『「首の女」殺人事件』。それから多くの事件で旅をしてきた愛車だったが、「熊野古道殺人事件」において軽井沢のセンセに大破させられてしまい廃車となった。尚、事件後、ニューソアラを入手したため、愛車は変わらずソアラである。尚、展示のこの車は、内田康夫が実際に使用していたもの。(初代ソアラ)

 浅見光彦が乗る二代目のソアラ。初代ソアラは軽井沢のセンセに大破させられてしまったが、そのお詫びとして、ニューソアラがプレゼントされた(ただし頭金の一部を払ってくれただけだった)。新しいソアラは女性のように映るらしく、浅見は「愛しいソアラ嬢」と形容している。尚、展示のこの車は、内田康夫が実際に使用していたブルーイッシュシルバーメタリックの車体を白く塗装したもの。(ニューソアラ)


新旧2台のソアラ(2018.4.10 撮影)

 前回2009年に、ここを訪れたときには、ちょうど特別企画展「後鳥羽伝説殺人事件」展の最終日であった。案内板に書かれているのだが、その時は内田さんの自筆原稿も展示されていた。


特別企画展「後鳥羽伝説殺人事件」展の案内板(2009年6月29日 撮影)

 展示室にはその他にも常設の展示品があり、浅見光彦の乳歯が、母親の雪江夫人から特別に借りたという説明文付きで展示されており、笑いを誘っていた。


浅見光彦の乳歯展示(2009年6月29日 撮影)

 1階の売店では、内田さんのサイン入りの著書などの販売もされていて、母は何か一冊記念に買い求めていた。


1階の売店ではサイン入りの書籍が販売されている(2009年6月29日 撮影)

 今回、献花に訪れたときには内部に入ることができなかったが、玄関脇には2月1日から6月25日まで開催中の特別企画展「内田康夫夫妻と愛犬キャリー」の案内ポスターがあり、妻で作家の早坂真紀(本名・内田由美)さんと一緒の内田さんの生前の姿が愛犬の姿と共に掲示されていた。


企画展「内田康夫夫妻と愛犬キャリー」の案内ポスター(2018.4.10 撮影)

 この浅見光彦記念館から少し離れたゴルフ場の近くの道路沿いには、内田由美夫人が開いている林の中のティー・サロン「軽井沢の芽衣」がある。

 私も2009年に母と妹達と訪れて以来、その後も何回か利用させていただいたが、緑の美しい季節にはとても気持ちよく過ごせる場所にある。


緑に囲まれたテラス席でお茶を楽しめる「軽井沢の芽衣」(2009年6月29日 撮影)

 今回訪ねてみると、お店はオープンしていたが、まだ周りの緑がほとんどなく心なしか寂しい雰囲気であった。


ゴルフ場の間を通り抜ける道路沿いにある「軽井沢の芽衣」の看板(2018.4.10 撮影)


「軽井沢の芽衣」の現在の様子(2018.4.10 撮影)

 内田さんは、2015年(平成27年)7月に脳梗塞で倒れ、リハビリに励んだが2017年3月、小説の休筆を宣言し、浅見シリーズ114作目の「孤道」を未完のまま出版、同作の完結編を公募し、4月末に締め切りが迫っている。

 この完結編が誰の手によって書かれ、どのような内容になるか、興味深い。

 謹んで内田さんのご冥福をお祈りする。



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