軽井沢からの通信ときどき3D

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量子もつれ

2025-01-10 00:00:00 | 日記
 年末のTV番組NHKスペシャルで「量子もつれ」が取り上げられた。副題は「アインシュタイン最後の謎」というものである。

 アインシュタインでさえ解けなかった謎「量子もつれ」の存在が実験的に証明され、3人の科学者が2022年のノーベル物理学賞に輝いているが、番組はこの量子もつれの存在を否定したアインシュタインに始まり、量子もつれの存在が明らかにされると、それを応用することで開発された量子暗号技術、量子コンピュータや、我々の意識や宇宙の成り立ちにまで及ぶ哲学的な考察につながることを紹介した。

 3人の科学者へのノーベル賞が決定すると、当時も解説が行われたが、その多くは、量子もつれの存在を実験的に決着をつけるために発案された、ベルの不等式から話が始まっていた。

 今回のNHKスペシャルでは、そのベルの不等式を誘導したともいえるボームの量子力学に対する考察にまでさかのぼって、100年にわたる科学者の苦闘を描き、それでもなお科学者たちは量子もつれをまったくと言っていいほど理解できていないことも示した。

 量子もつれ光子の実験を行い、ベルの不等式の破れを実証したのはアラン・アスペ博士(パリ・サクレー大学及びエコール・ポリテクニーク、フランス)、ジョン・F・クラウザー博士(アメリカ)、アントン・ツァイリンガー博士(ウイーン大学、オーストリア)の三氏である。

 事の発端は1935年に発表された「EPR論文」とされる。それまでもアインシュタインは量子力学に対して不完全な理論であるとの否定的な考えを持っていたが、1930年には量子力学は一応の完成を見たとされていた。

 そこに「量子もつれ」を用いて、この論文で量子力学が「不完全な理論」であると指摘したのであった。EPRとは、この論文の三人の共同執筆者であるアインシュタイン(Einstein)、ポドルスキー(Podolsky)、ローゼン(Rosen)の頭文字をとったものである。こうした量子力学のもつ不思議な性質は「EPRパラドックス」と呼ばれた。

 量子もつれの名付け親は、かのシュレーディンガーとされるが、光子や電子などの量子の間でいったん相互作用が生じると、その二つの量子は相関をもち、どんなに離れていてもその相関は完全に保たれると量子力学は示す。

 EPR論文では、宇宙の果てと果てに離れた二つの量子の相関関係は崩れることなく、完全に保たれると予言する量子力学に対する疑問を提示した。

 電子のスピンを例に取り上げると、自転軸が上向きのスピン・アップと自転軸が下向きのスピン・ダウンが相関している場合には、片方がスピン・アップであれば、もう片方はスピン・ダウンということになる。

 この2つの電子が遠く離れた場所にある場合、測定器を一方の電子に向けて、スピン・アップと測定されると、その瞬間にどれだけ離れていようともう一方の電子はスピン・ダウンに決定するというものである。

 この現象は情報の伝達というレベルのものでないことは明らかである。

 こうした現象に基本的な疑問を投げかけたのがアインシュタインであったが、この問題を解決するために持ち出されたのが「隠れた変数」理論であった。

 「隠れた変数」理論とは、それがどのようなものであるかは具体的に判らないが、これを用いることで量子力学が示す不確定性原理によるあいまいさが消え、すべてが古典物理学が示すような、測定値のあいまいさの残らない決定論となるものである。

 この理論によれば「EPRパラドックス」はパラドックスではなくなる。

 プリンストン大学で、オッペンハイマーの下で働いていて、アインシュタインとも近い関係にあったボームはこの「隠れた変数」理論に共感し、量子力学の波動方程式を別な形で書き表わしてみせた。番組では友人の言葉として、次のように紹介されている。

 「ボームは 頭をかきむしるような難題を 数学で自然に説明できる方法を考え出したのです。宇宙全体からの力という概念を持ち込めば、問題にならないと。」

 宇宙から量子全体に働く「ある力」を想定したものであった。この理論によると「量子もつれ」を持ち出すことなく、量子の振舞いを記述できるとした。

 この頃ボームは次のような考えを持っていたと紹介されている。

 「私はこの問題には科学を超えた何かが必要だと考え始めた。私自身、そして多くの人たちの科学への興味は宗教や哲学への興味の背後にあるものと切り離せない。それこそが全宇宙やあらゆる物質、そして私たちの起源を理解するということなのだ。」

 しかし、ボームのこの理論は、仲間の科学者からは、「ひどく馬鹿げた理論」、「換金できない小切手のような役に立たないもの」と評され、師であるオッペンハイマーからは、「子供じみた逸脱だと考えている」とされ、プリンストンを追われ、不遇な研究生活を送ることになった。

 ここに一冊の本がある。「量子論」(著者:David Bohm、訳者:高林武彦・河辺六男・後藤邦夫・井上 健、1964年、みすず書房発行)という本だが、著者はボームである。この本は私が学部の学生時代に買ったもので、大学院の受験勉強をしている時に入手して、量子力学の勉強をしていた。


「量子論」(著者:David Bohm、訳者:高林武彦・河辺六男・後藤邦夫・井上 健、1964年、みすず書房発行)のカバー表紙

 この本をテキストとして、同級生のMSさんと一緒に勉強をしていたのであるが、最後まで読了した記憶はない。量子力学の入り口くらいには立っていたのではないかと思う。

 この本の原著は、David Bohm:Quantum Theory, (Prentice-Hall, Inc., 1951)であり、訳者あとがきには次のようにある。

 「・・・量子力学についてはすでに沢山良い本があるが、この本は原理的な問題についても実際的な問題についてもなみなみならぬ親切さと懇切さでもって書かれた興味深いものと言える。著者 Bohmはプラズマの理論や量子力学の因果的解釈の試みなどによって著名であり、力量ゆたかで個性的な物理学者である。
 なおこの後の方の仕事は唯物論的な立場を貫徹しようという彼の要請から発したものであったが、この書物は彼がその解釈をとる以前において、普通の正統的な立場で書かれたものである。・・・
 その量子論の解釈は正統的なコペンハーゲン解釈であり、・・・これに対する著者Bohmの目の輝きを、読者は行間いたるところに感ぜられたことであろう。Bohr-Heisenbergの確率論的解釈に抗して、決定論的な解釈を求める傾向は、旧くすでに1927年、de Broglieの理論に見ることができ、本書第22章に述べられたEinstein-Rorsen-Podolskyの反論もその線に沿うものとみなされるであろう。
 ・・・最近、とくに素粒子の理論における諸困難と関連して、コペンハーゲン学派をつつむ”哲学の霧”を晴らすことがふたたび問題にされるようになった。・・・その口火を切ったのが本書の著者の Physical Review 誌所載(85 1952,166,180)の二論文であった。・・・量子力学の解釈における非決定論と決定論とのあらそいは、多彩な哲学的観点と各様の数学的定式化とがからみあっているが、次量子力学的段階における”隠された変数”による因果的記述をもくろむ、本書執筆後の著者の見解については、上記二論文と共に、D.Bohm:"Causality and Chance in Modern Physics" 及び D.Bohm and Y.Aharnov, Phys.Rev. 108(1957), 1070 を一読されることをおすすめしておく。    
                                1964年5月  訳 者」

 ボームのこの著書を読んでいた当時、量子力学はすでにコペンハーゲン解釈で説明されていて、大学でもそのように教えられていたし、ましてや私自身は理論物理を専攻していたわけではないので、アインシュタインや、すでに量子もつれの問題に頭を悩ませていたボームの考えには、全く興味もなく、考えも及ばなかった。

 今、こうしてこれまでの100年間の科学者の苦闘と、その後得られた自然観を目の当たりにすると、ボームの苦悩の一端が見えてくる気がする。

 量子力学を深く理解し、その核心に触れることで、更にこの学問を発展させようとしたボームであるが、量子力学を不完全なものとしたアインシュタインの考えていたことと、ボームの考えていたことは同じようなものだったのだろうかという疑問が私には残る。

 番組では、ボームの次のような言葉も紹介されている。

 「物理学者は本質を無視して『物理学の目的は計算することだ』と言う。しかし量子力学を初めて学んだ学生には理解できないのです。彼らは1年もすると『単なる計算システムだから理解する必要はない』と言うんです。」

 アインシュタインは間違えていたというのが、今回の「量子もつれ・アインシュタインの最後の謎」の結論である。「量子もつれ」は存在し、量子力学は正しく、「隠れた変数」を持ち出す余地はない。その意味で、ボームもまた間違えていたということになる。

 番組の中で、ベルの不等式を見出したジョン・ベル、そしてこの量子もつれの研究でノーベル賞を受賞した三人は、それぞれ次のように語っている。

 ジョン・ベルとジョン・クラウザーはアインシュタインの考えに賛同していて、「量子もつれ」は存在しないはずとの考えのもとに、それぞれこの式を考案し、また実験を行っていた。

 *ジョン・ベル
 「1952年にボームの論文のコピーが届きました。もちろんすぐ読みました。
  それは私の考えにとても近く、ものすごく感銘を受けました。
  そして私はその論文で、長い間不可能とされていたことが、達成されていることを知っ
  たのです。
  心から熱狂しました。私にとっては大事件でした。
  ボームは可能性を見せてくれたのです。非常に明確な方法で、不可能だと主張する
  証明を論破し、問題を再び提起してくれたのです。私は計り知れない感謝をしています。
  
  量子力学の世界は 私たちが本当に消化できていない奇妙なものです。
  ほとんどの理論物理学者はこのことを気にしていません。
  自転車に乗るのと少し似ています、どうやって乗るのか他人に詳しく教えられなくても
  自転車には乗れます。
  そしてほとんどの理論物理学者は量子力学を 自転車に乗るのと同じように使っている
  と思います。
  しかし それが何を意味するのか 考える人もいなければならないと思います。
  私たちは今 自分たちが何をしているのか(量子力学の)原理をよく理解していませんが
  それはありえないと思います。
  物理学の未来は ますます理解できなくなるだろうし 私はそれに賛成できない

  波動関数とは一体何なのか、それはとても不可解で物理学とはいったい何なのかという
  疑問が湧いてきました。
  アインシュタインの主張には絶対的な説得力があると思うのです。それが唯一合理的な
  考え方なのです。そして、その結末は動かない。遠く離れたところで実験したとたん
  理由のないシンクロが生じてしまう。なぜ物理学者たちはボームをあれほど攻撃したの
  か。なぜボームの素晴らしい発見と論文に寛容でなかったのか・・・。」  

 *ジョン・クラウザー
  「(当時)私は博士論文をゴダード宇宙研究所で書いていました。そこで突然本棚に眠っ
  ていた論文に出会ったのです。無名の雑誌に掲載されたジョン・ベルの論文でした・・
  それを読んで、私はただ圧倒されました。今まで人生で読んだ中で、最も素晴らしい
  論文だったからです。

  Q:物理学者として「量子もつれ」を理解していますか?
  A:いいえ その反対です。私は量子もつれを全く理解できていません。」

 *アラン・アスペ
  「ベルはまずこういいました。『みんなからこのテーマは興味がないと批判される』と。
  このテーマに取り組むのはやめた方がいいと忠告してきました。私は既にポストについ
  ていると伝えると、『それなら科学の話をしよう』と言われたのです。」 

 *アントン・ツァイリンガー
  「個人的には私はずっと根源的なことに興味がありました。応用していくことは大切だと
  思いますが、それでは根源的な問いに答えを出すことができないのです。
  この問題(量子もつれ)は長い間、物理ではなく哲学の問題だと考えられてきました。
  それでも、最終的には(実験は)うまくいったのです。アインシュタインの反応が知り
  たいですね。実験に対して、彼が今何を言うか知りたい。私達人類は、世界に対する見
  方を変えなければならない。それにはおそらく長い時間がかかるでしょう。
  それは若い世代が納得していくことなのです。

  私が何を推測しても、おそらく間違っているだろう。この世界は私たちが思うよりずっ
  とファンタジーに満ちている。」

 アインシュタインはベルの不等式のことも、「量子もつれ」の存在が確認されたことも知らないで亡くなっているが、ボームの場合は存命中に、「量子もつれ」でノーベル賞を受賞した二人の研究結果が発表されている。一方でボームは晩年まで量子力学の解釈に情熱を注いでいたようであり、ウィキペディアによると次のようである。

 「ボームは1987年に引退するまで量子物理学の研究を続けた。彼の最後の研究は、彼と同僚である Basil Hileyとの長年の共同研究の成果として、死後にThe Undivided Universe: An ontological interpretation of quantum theory (1993) として発行された。 」
    

「量子もつれ」の放送に登場する主要人物とその生没年、主要な論文、ノーベル賞の受賞年などを示す表(筆者作成)
  
 ※NTTに対するサイバー攻撃があり、一時gooブログへのアクセスが不可能になったため、当ブログ記事のアップを1週間延期しました。
 

 
 
 
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