「真猿=まさる」は「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」
平成31年1月14日(月)
今日は、成人式。
晴天の青梅。
青梅の成人は、小学生の時に書いた
作文か絵等が出身校毎に紹介され、
式終了後、各自に渡される。
タイムカプセル!
今朝は、まさる神社へ。
全国に約二千ある日吉神社・
日枝神社・山王神社の総本宮で
ある滋賀県大津市の日吉大社は、
猿を神の使いとして崇拝すること
で知られ、平安京の鬼門に位置
することから、鬼門除け・災難除
けの社として崇敬されるように
なった。
参拝の仕方もあり。
日吉神社では昔から神様のお遣い
の猿を「真猿=まさる」と呼んで尊ぶ。
「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」
に通じる縁起の良いものとして、
大切にされている。
また、猿は夫婦仲がよく親子の愛情
も深い動物で、犬と同様沢山の子供に
恵まれることから、家内安全・夫婦円満
・子授け・安産・子育ての守護、
縁起物だ。
元禄2年(1689年)の7月24日、
「奥の細道」の道中の松尾芭蕉は、
小松に入ると近江屋という旅宿に
泊まった。
翌25日に出立しようとしたところ
小松の人々に引き留められ、
本折日吉神社の神官で俳人の
藤村伊豆守章重、俳号・鼓蟾(こせん)
の館に一泊。
同夜、芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生
(かんせい)、塵生(じんせい)ら十人が、
有名な山王句会を催した。
その時の芭蕉の発句が、
「しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき」 。
その後、芭蕉は小松を立って
山中温泉に行くが、何故かふたたび
小松を訪れている。
「奥の細道」の旅で、同じ土地を2度も
訪れたのは小松だけで、芭蕉と小松の人々
との間に特別な関係があったことが
伺われる。
芭蕉翁留杖之地としての記念碑と
芭蕉の句碑、
そして、小松市の俳人二句碑が目立っていた。