貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

同い年で出陣!?

2019-01-16 08:41:39 | 日記

同い年で出陣!?

平成31年1月16日(水)

 正月も後半に!

 今朝も小松市の多太神社。

 実盛は出陣前からここを最期の地

と覚悟を決めており、老いを侮られ

ないようにと白髪を黒く染めて

出陣した。

 時に実盛73歳の老齢だったという。

 私と同い年。白が頭も。私は隠居。

戦いや争いは大の大の苦手で嫌い。

 元気はあるが・・・。

 実盛、壮絶?!

 後に、義仲が戦勝祈願のお礼と実盛の

供養のために、多太神社に兜を奉納した

のである。

 流石、義仲!

 この兜にまつわる実盛と義仲の話は、

『平家物語』巻第七に「実盛」として

語られている。

 それからずっと後元禄2年(1689)、

松尾芭蕉が「奥の細道」の途中に

この地を訪れた。

 兜を見た芭蕉は実盛を偲び、

 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

と句を詠む。

 それが、上の句碑である。

 その句碑のそばに「松尾神社」という神社

があるが、これは松尾芭蕉とは関係

ないので「俳句がうまくなりますように…」

等とお参りしてもご利益は期待できない

という。

 松尾さんはお酒の神様!

 いつまでも美味しくいただけます

ようにと祈願。

 第二次大戦中に金物などが没収され

ていった中、当時の宮司が兜だけはと

土の中に埋めて守ったという。

 現在の兜は修復後のものなので、

正確には芭蕉が見た兜ではない。

 芭蕉が見たのは修復前の兜で、

その絵が神社の宝物館に納められて

いる。

 宝物館には、兜や多数の宝物も

納められており、事前連絡すれば

見る事ができるという。

 そして、当地の俳句会で慕われた

木隹(ぼくすい)の句碑も大切に

されている。