四度の往来
平成31年4月2日(火)
今朝も、観桜歩行禅!
昨日は、新たな元号は?
という期待で、日本中の感心の
ある方を魅了してした11時半以降!
万葉集から「令和」を!
これで、昭和、平成、令和の
三時代を生き抜くことに・・・!
味わいのある年号で、ほんと
嬉しいエイプリル・フールとなる。
大垣も、青空いっぱい広がって・・・。
今回は、
「ミニ奥の細道 芭蕉句碑めぐり」も
付加し、贅沢に芭蕉追悼、追従!
交差点を渡り、早速水門川手前へ。
「末吉灯台・船町湊跡」のという
地図付きの説明板を処へ。
橋の中央より水門川の光景を撮影。
水門川を上り、愛宕神社をUターン、
下って一周を試みる。
先ずは、芭蕉翁と木因翁の像で、
四度の往来を振り返る。
やはり、人と人との絆の深さを、
尊縁のよさを感じざるを得ない。
芭蕉が最初に大垣を訪れたのは、
貞享元年(1684)、「野ざらし紀行」
の旅の途中、俳友 谷木因(ぼくいん)を
訪ねたのきっかけ。
谷木因と芭蕉とは、京都の北村季吟
(きぎん)の相弟子。
当時、大垣の俳諧は、大垣十万石の
城主戸田公の文教奨励もあって、
谷木因の指導のもと、大垣藩士らを
中心に盛況となる。
芭蕉の4回にわたる大垣への訪れは
大垣俳壇に新風を吹き込み、
「蕉風」俳諧は美濃一円に広がり、
以後美濃俳諧としての基礎が固ま
ったといわれている。