令和7年2月1日(土)
塩竈市塩竈神社②
『奥の細道』には、
「早朝塩がまの明神に詣。
「早朝塩がまの明神に詣。
国守再興せられて、
宮柱ふとしく彩椽
きらびやかに、
石の階九仞に重り、
朝日あけの玉がきを
かゝやかす。
かゝる道の果、
塵土の境まで、
神霊あらたに
ましますこそ、
吾国の風俗なれと、
いと貴けれ。
神前に古き宝燈有。
かねの戸びらの面に
文治三年和泉三郎寄進
と有。
五百年来の俤、
今目の前にうかびて、
そゞろに珍し。
渠は勇義忠孝の士也。
佳命今に至りて
したはずといふ事なし。
誠人能道を勤、義を
守べし。
名もまた是にしたがふ
と云り。
日既午にちかし。
船をかりて松嶋にわたる。
其間二里餘、
雄嶋の磯につく。」
と記されている。
今風に直すと、
「早朝、鹽竈神社に参詣する。
今風に直すと、
「早朝、鹽竈神社に参詣する。
鹽竈神社はかつて
藩主伊達政宗公が再興されて、
宮柱は太く、
彩色した垂木は
きらびやかで美しく、
石段は極めて高く重なり、
朝日が朱色の垣根を
輝かせている。
このような奥地の片田舎
このような奥地の片田舎
であっても、
神のご利益があらたかで
おられることこそ
我が国の風俗であり、
大変貴いことと思われた。
社殿の前に古い燈篭がある。
鉄の扉の面に、
『文治三年和泉三郎寄進』
と彫られている。
五百年も前の様子が今、
目の前に浮かんできて、
ただ無性に珍しいと思われた。
和泉三郎は、
和泉三郎は、
勇気、節義、忠孝を
兼ね備えた武士である。
誉れ高い名前は
今に至っても慕わない
ものはいない。
誠に人はよく道理を
わきまえた行いをし、
節義を守るべきである。
『名声もまたこれに
『名声もまたこれに
自然についてくる』
というが、
まさにその通り。
日はもう正午に近い。
日はもう正午に近い。
船をやとって松島に渡った。
塩釜から二里ばかり
船を進めて、
雄島の磯に着いた。」
という意。
その灯籠がこの写真だ。
風格あり。
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