貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

千住七福神の大黒天

2019-01-25 08:33:25 | 日記

千住七福神の大黒天

平成31年1月25日(金)

 今朝も足立区千住に。

 千住本氷川神社参拝!

    

 千住本氷川神社は、徳治2年(1307)

に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院

と共に、氷川神社として創建。

 江戸時代初期、当地に分社として

建立した。

 明治43年(1910)荒川放水路建設

のため、牛田氷川神社を合祀し、

さらに昭和45年に社殿を新築して

現在に至っている。

千住七福神の大黒天。

 初詣客でいっぱい!

 参拝して、芭蕉句碑を探索。

 平成3年(1991年)、芭蕉翁奥の

細道旅立300年記念に再建。

 文久3年(1863年)建立の旧碑は

現在足立区立郷土博物館に保存されて

いる。

句は、

「春もやゝ けしきととのふ 梅と月」

 梅の花もほころび、それに月の朧が

加わって、いっそう春めいてきた、

という句意。


千住宿のプチテラス

2019-01-24 08:32:07 | 日記

 千住宿のプチテラス 

平成31年1月24日(木)

 江戸時代、参勤交代で、千住宿は

大名行列で賑わったことだろう。

 ここは、千住宿。

 

 足立市場の正面ゲートのすぐ横に

ある「奥の細道プチテラス」は、

鰻の寝床公園?

 国道4号線沿いで、ちょっと

「えっ!」という感じも否めない。

 その一画に、等身大に近い芭蕉の

白色の石像がある。

 これが一番に目に飛び込んできた。

 石像も珍しい。

 等身大なのか、ちょっと小さめか?

 このプチテラスに用いられている敷石は、

昔の「やっちゃ場」の「せり場」に敷かれ

ていた御影石。

 他、「日光道中 千住宿道標」、

「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などが

設置されている。

 「街薄暑 奥の細道 ここよりす」

と菖蒲園の句碑あり。

 そして、旧道を楽しくしよう会の説明板。

遙かなる奥の細道の旅。

 ほんと歩けばもっと違うものが見えて

くるかもしれないなあ!


名称替え?

2019-01-23 08:30:37 | 日記

名称替え?

平成31年1月23日(水)

 昨日と今朝の月は見応えあり。

 ここも、東京都!

 さて、千住へ。

「千じゆと云所にて船をあがれば

前途三千里のおもひ胸にふさがりて

幻のちまたに別離の泪をそゝく

『行春や 鳥啼き魚の 目は泪』 」

と、旅立ちの地である千住の情景が

記されている。

 碑の背面には、芭蕉のことと

当時の千住のことが説明されている。

 また、公園には、

「おくのほそ道行程図」や、

紀行文と

芭蕉らの出立の様子が描かれた屏風絵が

掲示されている。

 

 大橋芭蕉公園とでも名称替えしても

良い程?!

 そして、広重の富嶽三十六景の一景!

花街眺望の不二だ。


芭蕉の古道600里の始まり

2019-01-22 08:45:08 | 日記

芭蕉の古道600里の始まり

平成31年1月22日(火)

 今朝は、たなびく薄雲に望月が

満ちたり、欠けたり・・・。

 大岳、御岳のやまなみも澄んで

見事な稜線を醸し出す。

 さて、  大橋公園:

奥の細道矢立初めの地だ。

 「奥の細道」600里の旅の始まり

の句を詠んだといわれている場所

<矢立初めの地>

に建てられた記念碑が真正面に

見える。

 千住大橋公園である。

 1689(元禄2)年3月、

芭蕉は、弟子の曾良を伴って

深川(江東区)から船で遡上して

千住(足立区)に降り立ち、

陸奥へと旅立つ。

  

 「千じゆと云所にて船をあがれば

前途三千里のおもひ胸にふさがり

て幻のちまたに別離の泪をそゝく

行春や 鳥啼き魚の 目は泪』 」

と、旅立ちの地である千住の情景が

記されている。

 碑の背面には、芭蕉のことと

当時の千住のことが説明されている。

つづく。


えっ、鰻にエイ?

2019-01-21 08:38:11 | 日記

えっ、鰻にエイ?

平成31年1月21日(月)

 とうとう正月下旬入り。

今日も暖か。足立区北千住へ。

 千住大橋の全景が撮ろうと、

釣りを楽しむ人の方へ足をのばす。

「この時期、何が釣れるんです?」

と挨拶。

 80代の男性と暫く歓談。

 4本の釣り竿を活かし、

「今のところハゼ二尾。」

と見せてくださる。

 天ぷらにするそうだ。

 鰻やエイなども釣り上げるという。

 (えっ、うなぎ!)(えっ、エイ!)

 鰻は、寿司屋へ持って行くと、歓んで

もらえるという。

 エイは、調理の仕方が分からないので、

放したという。

 話し好きな方で、仕事の関係で

両足ががに股になったことや70半ばまで

仕事をしていたが、高齢者を雇うのは

心配の種、やめさせられたという。

 至極仕事に愛着をもっておられたよう。

 生粋の北千住っ子!

 無理にお暇乞いという感じで・・・。

 千住小橋を渡る。

 そこにも 千住大橋の説明や

三個のブイの話も!

 その先は工事で、上へ上がるしか

道はなし。