貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

小山市:間々田宿 間々田八幡宮 三度目の空振り!

2024-09-25 10:09:01 | 日記
令和6年9月25日(水)
小山市:間々田宿 間々田八幡宮  
 
 この八幡宮は、
天平年間に創設された、
由緒ある神社である。
<ご神木>


 神社の境内は、広大で、
現在ではよき公園という感じ。

<力石>

 力石や土俵など残され、
土俵の整備の仕方は、
今でも使われている感じ。
<土俵>

 二十数年前まで、
北関東や東北の小学校の一部に、
土俵が備えられていた。
 相撲は
冬の寒い時季の体育や遊びの
中心でもあった。
 私は三重の暖かい所だが、
冬の休み時間、
仲間とよく相撲をとったものだ。
 懐かしい!
 芭蕉句碑はとうとう見つからず。
 あれば、
 「古池や 
   蛙とびこむ 
     水の音」
 その代わりといっては何だが、
聖徳太子の見事な碑に
慰められる。




小山市:野木宿: 満 願 寺 願いは満つるが、芭蕉の句碑は?

2024-09-24 14:46:51 | 日記
令和6年9月24日(火)
小山市:野木宿: 満 願 寺   
   
 野木神社の別当寺。
 宿内に寺院がなく、
供養等に不自由なため、
元和2年(1616)に
宿内相談のうえ建立される。
<本殿>

 四国八十八カ所詣での
記念の砂が埋められている所に
両足を乗せ、ご本尊を拝む
という珍しい台も造られている。

<四国詣での砂の上>

 家内安全、
我が子の家庭の幸せを祈願する。
 満願かな?
有難きことなり。

 芭蕉の句碑は見当たらず。


下都賀郡:野木神社②初見の感動親福郎と芭蕉句!

2024-09-23 10:45:45 | 日記
令和6年9月23日(月)
 下都賀郡:野木神社②
 芭蕉の句碑を探索していると、
お詣りに来られた女性が
双眼鏡を手に、
「お母さん、
ほらあそこに見えるでしょ!」
と静かに小声でガイド。  
「ああ、見えるね。」
と、母親らしき老女が
嬉しそうに眺めておられる。
 何となくつられて、
上を見ると、
白き物がはっきり見える。 

 初見!
「真っ白なふくろう。
 親ふくろうだ。」


 ふっくらとして、
優しさがみなぎっている。
 一遍に「福」が来た感じ!
 すぐ写真に収める。
 プロ級(?)のカメラマンさん達
がいつのまにか4.5人集まり、
三脚をよき場所に置き、
でっかいレンズのカメラで
真剣に覗いてシャッターチャンス
を狙っておられる。
 平素からふくろうを撮って
おられる地域のご高齢のカメラマン
さんたち?
 ある方は、駐車場の方に行き、
仲間に携帯電話で知らせている。
あっという間に、
よき場所は占領されてしまう。
 ふくろうのモニュメントが
神社入口にあったのも納得。

 5・6月に、
親子のふくろうが見られるという。   
 今回は、母親だけか、
それとも父親か。
とにかく、
遠き所からじっくり観察。
 望外の歓びとなる。 
<ニリンソウ群生地>

<芭蕉墳>
 

 芭蕉の句は、
「一疋の 
  はね馬もなし 
     河千鳥」。

下都賀郡:野木神社① 由緒沿革と名物?

2024-09-22 14:27:27 | 日記
令和6年9月22日(日)
下都賀郡:野木神社①   
<長い参道> 

 仁徳天皇の時代、
奈良別王が下野国造として
下毛野国に赴任した時、
莵道稚郎子命の遺骸を奉じて
当地に祀ったのが始まり。
<鳥居>

 その後、
延暦年間(平安時代)、 
坂上田村麻呂が蝦夷征伐からの
帰途、報賽として現在地に社殿
を造営し遷座する。
 そして、
弘安年間(鎌倉時代)に
配祭の五神が祀られる。 
 下野国寒川郡七郷の総鎮守とされ、
江戸時代には
古河藩主土井氏の崇敬を受けて
古河藩の鎮守・祈願所とされる。
<神楽殿>

 明治5年に
郷社に列したという
歴史ある神社である。
<由緒沿革>
<名物福郎>

~つづく。

春日部市東陽寺②曽良の随行日記の碑と旅姿そして、菩薩!

2024-09-21 09:30:58 | 日記
令和6年9月21日(土)
春日部市東陽寺②

 粕壁宿で、
芭蕉が泊まった寺である。
 その碑もあり。
       
 本殿前の境内の黒松の下に、
曾良の随行日記中の、                                        
「廿七日夜 
 カスカベニ泊ル 
 江戸ヨリ九里余」
を刻む碑がある。
 その碑の下の
芭蕉と曾良の旅姿は、
よく見られるものである。

「奥のほそ道紀行」
300年を記念しての建立だそう。

 菩薩の表情も
慈悲深く見応えがある。