走りはじめて2年になりました。そして、今年の目標を、一ヶ月200㎞。一年で2000㎞としていたところ、先週2000㎞に達しました。この調子だと年末には2500㎞到達しそうです。しかし、このペースはけっこうハード。できれば、3日走って1日お休みくらにしたいところですねえ。そうは言っても、走らないとどうも落ち着きません。もはや中毒のようですねえ。お陰で激やせ。スボンはブカブカ。貧相な風貌にもなりました。身体にいいのか悪いのか…、いいのでしょうねえ。
そんなこんなで、今回はヴィヴァルディの『四季』であります。随分前に、ネヴィル・マリナー指揮ASMFの演奏が聴きたいなあとおもっていたときがありました。そして、CDをけっこう捜して、なんとか中古やさんで見つけました。1969年の録音です。それから久々にこの演奏を聴きました。この曲は、あまりにも有名になりました。その反面よく耳にしますが、今もって聴いても、やはり名曲でありますねえ。
それでこのマリナーのCDは、ちょうど私が音楽を聴きだした頃に発売されました。当時イムジチ(アーヨ)盤が爆発的に売れていたようでした。そんなときに発売されて、たいそう話題になりました。しかし時が経てば、残ったのはイムジチ盤。ということで、当時ある評論家が、「いっとき話題になって脚光をあびるものもあるが、やはり残るのは、正統なものである」風のことを言われていたのを思い出します。その後、マリナーとASMFは活動を続け、多くの演奏を残したのは周知のとおりであります。
私は、このマリナー盤はLPでも持っていませんでしたから、おそらくはFM放送などで聴いたのでしょう。初めて聴いたときは、少々驚きましたねえ、チェンバロを主とする通奏低音が非常に雄弁であり多彩な装飾音が散りばめられているのであります。良し悪しはわかりませんでしたが、こんな四季もあるんだ、と。その後、『四季』はカラヤンまでも録音しましが、今では古楽器による演奏が主となって、イムジチの演奏も過去のものになったんでしょうかねえ。
このマリナー盤、イムジチ盤が独奏者を主にした弦の美しさによるカンタービレであるなら、弦楽合奏の総合力による演奏であります。イギリスとイタリアのお国柄の違いもよく現れていますねえ、今、聴くとそれほどの違和感はなく、驚きも別段ないのです。まあ時代の変化ですかねえ。でも、このマリナー盤は、四季という標題とは無縁です。イムジチ盤はかなり季節を感じますが、絶対音楽のようだし、そんな写実性はまったくありませんねえ。そんなことより、演奏の面白さや奇抜さなどに耳が奪われるのでありました。アラン・ラブディのヴァイオリンもたいそう冷静であります。加えて、ソロヴァイオリンをあまり強調しないような録音とも思ったりであります。
しかし、どうもこの曲はアーヨ盤の呪縛から逃れられず、ついつい比較しながら聴いてしまう。春の冒頭から、チェンバロの活躍が目覚ましい。それに弦が軽快にそして強弱織り交ぜながらの演奏。第二楽章では低弦が不協和音のように響く。第3楽章でも分厚い低音がいい。夏。第1楽章、チェンバロの低音があっさりとした演奏にしている。第2楽章ではソロヴァイオリン、第3楽章では合奏が見事。そして秋。全体を通じて歯切れのよさがいいが、ここでもそれが顕著。憂いの第2楽章を経て、第3楽章でもチェンバロが新鮮な響き。やはり、イタリアの弦のような明るさはなく、渋い響きあります。冬。この第1楽章が最大の違和感。凍てつく冬を感じないのはいいとしても、不協和音のような弦が特徴的。そして、第2楽章でも寒さの中でも暖かみのある弦の響きではなく、と思いながら聴くと、オルガンが加わり、違った美しさも感じ、これはこれで面白い。そして終楽章でははやはりこの演奏の充実振りを再確認させられ、最後にオルガンが響きます。やはり、イムジチからは逃れられないのかなあ、でした。
4連休、真っ只中です。今日は午前中出勤。明日と明後日は、お彼岸のお墓参りに行きます。お天気そうでよかったです。なんだかコロナ禍でこんな外出しかないですねえ。ジャケットの写真は、LPのときのものを載せています。このジャケットが懐かしい。そして、当時はマリナーよりもアカデミーと言われていたように思うので、アカデミーの「四季」です。
(LONDON POCL-5004 1993年 LONDON NEW BEST 100)
そんなこんなで、今回はヴィヴァルディの『四季』であります。随分前に、ネヴィル・マリナー指揮ASMFの演奏が聴きたいなあとおもっていたときがありました。そして、CDをけっこう捜して、なんとか中古やさんで見つけました。1969年の録音です。それから久々にこの演奏を聴きました。この曲は、あまりにも有名になりました。その反面よく耳にしますが、今もって聴いても、やはり名曲でありますねえ。
それでこのマリナーのCDは、ちょうど私が音楽を聴きだした頃に発売されました。当時イムジチ(アーヨ)盤が爆発的に売れていたようでした。そんなときに発売されて、たいそう話題になりました。しかし時が経てば、残ったのはイムジチ盤。ということで、当時ある評論家が、「いっとき話題になって脚光をあびるものもあるが、やはり残るのは、正統なものである」風のことを言われていたのを思い出します。その後、マリナーとASMFは活動を続け、多くの演奏を残したのは周知のとおりであります。
私は、このマリナー盤はLPでも持っていませんでしたから、おそらくはFM放送などで聴いたのでしょう。初めて聴いたときは、少々驚きましたねえ、チェンバロを主とする通奏低音が非常に雄弁であり多彩な装飾音が散りばめられているのであります。良し悪しはわかりませんでしたが、こんな四季もあるんだ、と。その後、『四季』はカラヤンまでも録音しましが、今では古楽器による演奏が主となって、イムジチの演奏も過去のものになったんでしょうかねえ。
このマリナー盤、イムジチ盤が独奏者を主にした弦の美しさによるカンタービレであるなら、弦楽合奏の総合力による演奏であります。イギリスとイタリアのお国柄の違いもよく現れていますねえ、今、聴くとそれほどの違和感はなく、驚きも別段ないのです。まあ時代の変化ですかねえ。でも、このマリナー盤は、四季という標題とは無縁です。イムジチ盤はかなり季節を感じますが、絶対音楽のようだし、そんな写実性はまったくありませんねえ。そんなことより、演奏の面白さや奇抜さなどに耳が奪われるのでありました。アラン・ラブディのヴァイオリンもたいそう冷静であります。加えて、ソロヴァイオリンをあまり強調しないような録音とも思ったりであります。
しかし、どうもこの曲はアーヨ盤の呪縛から逃れられず、ついつい比較しながら聴いてしまう。春の冒頭から、チェンバロの活躍が目覚ましい。それに弦が軽快にそして強弱織り交ぜながらの演奏。第二楽章では低弦が不協和音のように響く。第3楽章でも分厚い低音がいい。夏。第1楽章、チェンバロの低音があっさりとした演奏にしている。第2楽章ではソロヴァイオリン、第3楽章では合奏が見事。そして秋。全体を通じて歯切れのよさがいいが、ここでもそれが顕著。憂いの第2楽章を経て、第3楽章でもチェンバロが新鮮な響き。やはり、イタリアの弦のような明るさはなく、渋い響きあります。冬。この第1楽章が最大の違和感。凍てつく冬を感じないのはいいとしても、不協和音のような弦が特徴的。そして、第2楽章でも寒さの中でも暖かみのある弦の響きではなく、と思いながら聴くと、オルガンが加わり、違った美しさも感じ、これはこれで面白い。そして終楽章でははやはりこの演奏の充実振りを再確認させられ、最後にオルガンが響きます。やはり、イムジチからは逃れられないのかなあ、でした。
4連休、真っ只中です。今日は午前中出勤。明日と明後日は、お彼岸のお墓参りに行きます。お天気そうでよかったです。なんだかコロナ禍でこんな外出しかないですねえ。ジャケットの写真は、LPのときのものを載せています。このジャケットが懐かしい。そして、当時はマリナーよりもアカデミーと言われていたように思うので、アカデミーの「四季」です。
(LONDON POCL-5004 1993年 LONDON NEW BEST 100)
『四季』ですが、なかなかこの曲は、聴く機会がなくて、今回もひさびさにCDを取り出しました。そんな状況ですので、古楽器系の演奏などはまったくといっていいほど、聴いていませんし、アーノンクールの演奏も…。一度は聴きたいなとはおもうのですがねえ。はやり、アーヨ盤や、やはりイタリア系の弦による演奏が一番しっくりくるなあ、というところでありますかね。またご教示ください。
さて、ヴィヴァルディの「四季」ですが、この、アカデミー盤は、レコード購入しました。やはり、イ・ムジチ盤との比較で、びっくりした記憶があります。ソロヴァイオリンは控えめですが、チェンバロや、オルガンが強調されたり、チェロが時折、不気味な音を出したり、ダイナミックな演奏でした。CDも持っていますが、今聴いてみると、平凡な、渋い演奏です。CDになってから、「四季」は、一口にいって、過激な演奏が、多くなっています。まず、アーノンクールにびっくりしました。また、イタリアの古楽器系の演奏家も、次々と出てきて、アカデミーの演奏は、記憶から消えていきましたね。
名盤といわれる演奏には、なかなか越えられない壁があります。イ・ムジチ(アーヨ盤)の「四季」、グールドのゴールドベルク、フルトヴェングラーの「合唱」(バイロイト盤)等々。やっぱり、イ・ムジチの「四季」は、ムード的といわれようと、良いんですね。ソロヴァイオリンを替えて、何度も再録音した、イ・ムジチですが、アーヨ盤以外は、生き残っていません。クラシックの演奏は、録音が良くなったからといって、名盤にはならないということが、よく解りますね。