8日の日曜の昼、財布がない。捜してもない。金曜に飲みに行って、お店でお金を払ったのが最後。それほど酔っていなかったので、落としてもないし…。各種カード、免許証、そして職場の出入カードも。家捜ししたがない。とりあえず交番に届出に行きました。書類作成中に電話があり、お店の近所の交番に財布が届けられたとのこと。もう地獄で仏にあったようでした。お店に落ちていたのをお店の人が届けてくれたんですね。ほんとうによかったです。出てこなかったら、と思うと…。大いに後悔と反省の日々を過ごしたのでありました。
先週、岡山に帰ったときに、東岡山のBOOKOFFに寄りました。毎週金曜夜に岡山に帰っていたときに、ここでマンガやCDを物色してました。100円CDもよく買いました。それからマルナカで値引きしていた刺身を買い、ラーメン食べて、10時過ぎくらいに家について飲んで寝たのでした。そんなBOOKOFFに今回も寄りました。ここで、エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第6盤ロ短調作品74「悲愴」(1993年6月モスクワ放送局大ホールでの録音)があり、950円で買いました。
スヴェトラーノフのチャイコフスキー、1990年のサントリーホールでのライブとその前後のモスクワでの録音の二種類がキャニオンから出ております。この中の何枚かは中古やさんで買ってあるのですが、少し前に全曲のセットを発見しました。迷ったのですが、半分くらいは持っているので、断念しました。まあ持っていないのは、中古やさんであれば買えばいいや、と思っていました。そんなことで、モスクワ録音の方の「悲愴」を入手したわけであります。
しかし、この「悲愴」はいいですよ。これまでカラヤン、バーンスタイン、ムラヴィンスキー、ショルティ、ザンデルリンク、アーベントロート、アバド、ゲルギエフなどなどの多くの悲愴を聴きましたが、このスヴェトラーノフの演奏、これまでで最もいいなと思ったものの一つでありますね。悲愴は、文字通り悲愴でなければならない。中学生のころに初めて聴いて、涙を?流さんばかり感動したのは、この悲愴的な表情故にでありました。どの演奏も悲愴な演奏なんですが、スヴェトラーノフの悲愴は、私が最も好きな悲愴的な演奏のひとつであります。
この演奏、両端楽章が好きですねえ。まあ、これだけ強く吹くのは、流石にロシアのオケですねえ。以前にも指摘しましたが重いのです、この音色。第4楽書、通奏低音のように低音が鳴り響く中、重い旋律が号泣するように奏でられます。第三楽章から一転。テンポもゆっくりで、実に重い。この重さが悲しみが尋常なものでないことを強烈に心に打ち付けます。そして、周囲も巻き込みながら、悲しみは底なしの暗い井戸の中にどんどん入っていくようであります。金管の強奏やティンパニ強打も一層心を追い込みます。救いようのない悲しみには為す術もなく、追い込まれていくのみでしょうか。第1楽章も、ゆったりとした歩みで曲が進ますが、すすり泣くような弦。低弦は擦りつけるようにうめく。そして、二つの主題がたいそうな想いを込めて歌われます。第二主題はいいなあ。展開部では期待どおりの大爆発。スケールが限りなく大きくなり、トロンボーンなどの咆哮が一帯を支配する。豪快な悲愴に圧倒されますねえ。第二楽章は、一転して穏やかな様相を呈する。弦の響きは美しく、木管もいい。でもロ短調の中間部になると、終楽章の主題が流れ暗転していくが、その落ち込みは軽いし、再現部になると、おおらかで伸び伸びとした演奏でまとまるが、時折の落ち込みは奥が深い。そして第三楽章。行進曲とスケルツォ。次第に勢いと力強さが増していき、特に後半以降になると、本領発揮であります。低音が強調されながらの行進曲は次第に興奮度が増し、ドンパチドンパチで小気味よいし、スケールの大きな中での大爆発。しかし、それは空虚で悲しみが漂いながらの強奏。終楽章への導入。効果的な終楽章への橋渡しであります。
スヴェトラーノフのチャイコ、HMVなどではあまり入手できないものが多く、amazonでみますと、中古でも異様に高い値段が付いています。中古やさんで地道に探すしかないですね。しかし、昨日、今日と寒い寒い。
(CANYON POCL-00515 2000年)
先週、岡山に帰ったときに、東岡山のBOOKOFFに寄りました。毎週金曜夜に岡山に帰っていたときに、ここでマンガやCDを物色してました。100円CDもよく買いました。それからマルナカで値引きしていた刺身を買い、ラーメン食べて、10時過ぎくらいに家について飲んで寝たのでした。そんなBOOKOFFに今回も寄りました。ここで、エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第6盤ロ短調作品74「悲愴」(1993年6月モスクワ放送局大ホールでの録音)があり、950円で買いました。
スヴェトラーノフのチャイコフスキー、1990年のサントリーホールでのライブとその前後のモスクワでの録音の二種類がキャニオンから出ております。この中の何枚かは中古やさんで買ってあるのですが、少し前に全曲のセットを発見しました。迷ったのですが、半分くらいは持っているので、断念しました。まあ持っていないのは、中古やさんであれば買えばいいや、と思っていました。そんなことで、モスクワ録音の方の「悲愴」を入手したわけであります。
しかし、この「悲愴」はいいですよ。これまでカラヤン、バーンスタイン、ムラヴィンスキー、ショルティ、ザンデルリンク、アーベントロート、アバド、ゲルギエフなどなどの多くの悲愴を聴きましたが、このスヴェトラーノフの演奏、これまでで最もいいなと思ったものの一つでありますね。悲愴は、文字通り悲愴でなければならない。中学生のころに初めて聴いて、涙を?流さんばかり感動したのは、この悲愴的な表情故にでありました。どの演奏も悲愴な演奏なんですが、スヴェトラーノフの悲愴は、私が最も好きな悲愴的な演奏のひとつであります。
この演奏、両端楽章が好きですねえ。まあ、これだけ強く吹くのは、流石にロシアのオケですねえ。以前にも指摘しましたが重いのです、この音色。第4楽書、通奏低音のように低音が鳴り響く中、重い旋律が号泣するように奏でられます。第三楽章から一転。テンポもゆっくりで、実に重い。この重さが悲しみが尋常なものでないことを強烈に心に打ち付けます。そして、周囲も巻き込みながら、悲しみは底なしの暗い井戸の中にどんどん入っていくようであります。金管の強奏やティンパニ強打も一層心を追い込みます。救いようのない悲しみには為す術もなく、追い込まれていくのみでしょうか。第1楽章も、ゆったりとした歩みで曲が進ますが、すすり泣くような弦。低弦は擦りつけるようにうめく。そして、二つの主題がたいそうな想いを込めて歌われます。第二主題はいいなあ。展開部では期待どおりの大爆発。スケールが限りなく大きくなり、トロンボーンなどの咆哮が一帯を支配する。豪快な悲愴に圧倒されますねえ。第二楽章は、一転して穏やかな様相を呈する。弦の響きは美しく、木管もいい。でもロ短調の中間部になると、終楽章の主題が流れ暗転していくが、その落ち込みは軽いし、再現部になると、おおらかで伸び伸びとした演奏でまとまるが、時折の落ち込みは奥が深い。そして第三楽章。行進曲とスケルツォ。次第に勢いと力強さが増していき、特に後半以降になると、本領発揮であります。低音が強調されながらの行進曲は次第に興奮度が増し、ドンパチドンパチで小気味よいし、スケールの大きな中での大爆発。しかし、それは空虚で悲しみが漂いながらの強奏。終楽章への導入。効果的な終楽章への橋渡しであります。
スヴェトラーノフのチャイコ、HMVなどではあまり入手できないものが多く、amazonでみますと、中古でも異様に高い値段が付いています。中古やさんで地道に探すしかないですね。しかし、昨日、今日と寒い寒い。
(CANYON POCL-00515 2000年)
スヴェトラーノフ、東京ライブは、3・6番、モスクワ録音は1・2・3番がありません。中古やさんで捜そうと思います。またご教示ください。
スヴェトラーノフさんでは、5番しか持っていないのですが、気に入っています。この記事を読ませてもらうと、この6番が俄然聴きたくなりました。私も、サッパリ系の悲愴は好きではありません。スヴェトラーノフさんのなら期待できます。