『レコ芸』12月号の特集「新時代の名曲名盤500」は、ベートーヴェン特集でした。この特集は3回目なんですが、驚くのは、これまでの名盤と言われていたものが、H.I.Vによる演奏に取って代わられていることなんです。ベートーヴェンでも、交響曲ではアーノンクール、ファイ、アントニーニ、ノリントン、ピアノでは、協奏曲もソナタもほとんどがフォルテピアノによるもの。また、他の作曲家でもそうなんですが、アーノンクールの演奏の評価が驚くほど高いのです。加えて、英雄ではモントゥーの演奏が1位となっているのも目を引きました。
まあ、これは選者の年代が若返ったこともあるんでしょうが、それにしても、そっち系の演奏が苦手な私にとっては、やはりそっち系も許容できる耳を持たねばならぬのか、と痛感したのでありました。でも、アーノンクールってあまり聴きませんし、フェルテピアノよりも、バックハウス、ケンプの方を聴きたい。まあ、世評なんかはどうでもいいのですが…。SACD化されたCDを買ったり、板起こし盤を物色するばかりではなく、アーノンクールの運命や、アントニーニ、そしてプラウティハムのCDも買いましょう、ということでしょうか。
そんなことに逆行するわけではないのですが、今回はカラヤンのベートーヴェン交響曲。先日からふと聴きたくました。周知のとおりカラヤンは、BPOとは3回全集録音をしています。今回のは、1982~84年にデジタルで録音された、カラヤン最後の全集。以前の2つに比べると、カラヤンの健康や老い、BPOとの確執などで、評価がそれほどでもない演奏です。まあ、去るもの日々に疎しで、カラヤンの演奏も取り上げられることも少なくなったんでしょうか。かく言う私もそれほど聴かないですよねえ。でも、この全集が録音発売されたときは、評論家諸氏は最上級の評価をされたことと思います。亡くなった後、どう評価されるかが重要かもしれませんが…。
しかしながら、私は、このベートーヴェンは立派であり、評価されるべきものと思います。まず、聴き出したら、その演奏にほとんどの違和感なく、自然に耳に入る。そして気持ちよくきくことができる。そしてもっともっと聴きたくなるのであります。それは、これまでのカラヤンの演奏で感じていたような鋭角的な部分や前だけを向いた表情、そして軽さをそれほど意識しないのです。これはカラヤンの老いとみるのか、またはよく言えば円熟とするのか、それは難しいです。でも、柔らかく、より味わい深いものになっていると私は思うので、それはそれでいいのでした。
そんなこの全集の中から、交響曲第2番二長調作品36です。1984年2月ベルリンでの録音です。この全集の中でも。1番とこの2番はいいですねえ。まずはやはりBPOの充実振りですね。以前の録音よりは、録音もよくなったので音の解像度も増すてい増していることもあるんでしょうが、柔らかく、潤いも、そして分厚さも感じます。個々の演奏はさすがに充実しています。テンポはそれほど以前とは変わらないのですが、ゆったりと曲が進むように思います、これらの点から、凝縮力の軽減や散漫さを指摘する向きもありますが、それほど私は感じませんね。そしてカラヤンですが、一言で言うと味わい深いものになっているのです。じっくり旋律を歌い上げるとか、時折見せる優しい表情など、これまでではあまり耳にしなかったのでした。そして、聴く度に味が出てくるのですねえ。
第一楽章、冒頭からの潤いのあるBPOの美音がいい。そして安定感のある響きでベートーヴェンがずんずんと進んでいく。非常に心地よい。第2楽章、ゆったりとしたテンポでしっとりと歌われる。BPOの弦はやわらかく、時折の木管が加わり、詩情たっぷりであります。この楽章はいいです。第3楽章スケルツォ。落ち着いた躍動感で進む。はやりBPOの演奏に耳が馴染んで、心地よい。そして第4楽章、終楽章らしい充実した演奏が展開される。やはりBPOは実にいい。それを駆使したベートーヴェンは、満足感いっぱいですねえ。
しかし、コロナ感染、増加の一途をたどっています。ただ、感染者の中に無症状の人は、どれくらいいるんでしょうかねえ。でも、もうこれからね年末年始は家に籠もるしかないです。もはや自衛しかありませんね。
(DG 439 200 2 1987年 輸入盤)
まあ、これは選者の年代が若返ったこともあるんでしょうが、それにしても、そっち系の演奏が苦手な私にとっては、やはりそっち系も許容できる耳を持たねばならぬのか、と痛感したのでありました。でも、アーノンクールってあまり聴きませんし、フェルテピアノよりも、バックハウス、ケンプの方を聴きたい。まあ、世評なんかはどうでもいいのですが…。SACD化されたCDを買ったり、板起こし盤を物色するばかりではなく、アーノンクールの運命や、アントニーニ、そしてプラウティハムのCDも買いましょう、ということでしょうか。
そんなことに逆行するわけではないのですが、今回はカラヤンのベートーヴェン交響曲。先日からふと聴きたくました。周知のとおりカラヤンは、BPOとは3回全集録音をしています。今回のは、1982~84年にデジタルで録音された、カラヤン最後の全集。以前の2つに比べると、カラヤンの健康や老い、BPOとの確執などで、評価がそれほどでもない演奏です。まあ、去るもの日々に疎しで、カラヤンの演奏も取り上げられることも少なくなったんでしょうか。かく言う私もそれほど聴かないですよねえ。でも、この全集が録音発売されたときは、評論家諸氏は最上級の評価をされたことと思います。亡くなった後、どう評価されるかが重要かもしれませんが…。
しかしながら、私は、このベートーヴェンは立派であり、評価されるべきものと思います。まず、聴き出したら、その演奏にほとんどの違和感なく、自然に耳に入る。そして気持ちよくきくことができる。そしてもっともっと聴きたくなるのであります。それは、これまでのカラヤンの演奏で感じていたような鋭角的な部分や前だけを向いた表情、そして軽さをそれほど意識しないのです。これはカラヤンの老いとみるのか、またはよく言えば円熟とするのか、それは難しいです。でも、柔らかく、より味わい深いものになっていると私は思うので、それはそれでいいのでした。
そんなこの全集の中から、交響曲第2番二長調作品36です。1984年2月ベルリンでの録音です。この全集の中でも。1番とこの2番はいいですねえ。まずはやはりBPOの充実振りですね。以前の録音よりは、録音もよくなったので音の解像度も増すてい増していることもあるんでしょうが、柔らかく、潤いも、そして分厚さも感じます。個々の演奏はさすがに充実しています。テンポはそれほど以前とは変わらないのですが、ゆったりと曲が進むように思います、これらの点から、凝縮力の軽減や散漫さを指摘する向きもありますが、それほど私は感じませんね。そしてカラヤンですが、一言で言うと味わい深いものになっているのです。じっくり旋律を歌い上げるとか、時折見せる優しい表情など、これまでではあまり耳にしなかったのでした。そして、聴く度に味が出てくるのですねえ。
第一楽章、冒頭からの潤いのあるBPOの美音がいい。そして安定感のある響きでベートーヴェンがずんずんと進んでいく。非常に心地よい。第2楽章、ゆったりとしたテンポでしっとりと歌われる。BPOの弦はやわらかく、時折の木管が加わり、詩情たっぷりであります。この楽章はいいです。第3楽章スケルツォ。落ち着いた躍動感で進む。はやりBPOの演奏に耳が馴染んで、心地よい。そして第4楽章、終楽章らしい充実した演奏が展開される。やはりBPOは実にいい。それを駆使したベートーヴェンは、満足感いっぱいですねえ。
しかし、コロナ感染、増加の一途をたどっています。ただ、感染者の中に無症状の人は、どれくらいいるんでしょうかねえ。でも、もうこれからね年末年始は家に籠もるしかないです。もはや自衛しかありませんね。
(DG 439 200 2 1987年 輸入盤)
そこで、第2番ですが、60年代に録音された、カラヤンの演奏が、大好きでした。きりっと、引き締まった流れが、若きベートーヴェンの気持ちを表しているようで、カラヤンの良い面が出ていると、思いました。それに比べ、80年代のこの演奏は、何処か、散漫な印象を与えます。BPOとの関係もあるのでしょうかね?
先日、久しぶりに、レコード芸術を購入しました。ベートーヴェンの名曲・名盤が選出されているというので、興味があり、手に取ってみました。びっくりしたのは、全てのジャンルに渡って、古楽器系演奏のものが選ばれているということです。もちろん、第2番も、カラヤンなどは選ばれていません。新譜を殆ど買わない自分にとっては、聞いたこともない、演奏家ばかりですが、H.I.Pが、すっかり、現在の潮流になっているのだなあと、思いました。
このカラヤン、棄てがたい魅力があります。ほとんど顧みられなくなった感もありますが、大切にしたい録音であります。またご教示ください。
このカラヤンの80年代の全集は、最近よく聴いています。
録音の所為か、やや乾いた感じもあり、多少のアンサンブルの乱れもありますがディクション(音楽の流れ、方向)が明確で、一本筋が通った演奏と思います。
カラヤンがあんまり恰好を付けてない感じも好きですね。