『鶴瓶の家族に乾杯』岩手県釜石市・大槌町(前篇)
初回放送=3月4日(月)、午後8時~8時43分
元マラソン選手でスポーツキャスターの高橋尚子さんと、岩手県の釜石市、そして昨年も訪問した大槌町を再度訪ねる旅の前篇でありました。
釜石駅前で落ち合った鶴瓶さんと高橋さん。釜石駅前には真新しい鐘がありました。それは、震災の記憶をとどめるための鐘でした。駅前におられた、被災地ツアーのボランティアガイドによれば、津波は駅前で1~2メートルに達していた、というのです。
釜石駅前では、いきなり様々な人びとと出会うことになりました。
お互いを「おかあさん」と呼び合う女性と、その息子さんの妻。女性と息子さん夫妻はそれぞれ津波で流されるも、なんとか助かることができたといいます。また、大阪から釜石に嫁いできたという女性は、大阪にいた時分には阪神・淡路大震災に遭い、さらに釜石で東日本大震災にも遭い、家を流されてしまった、というのです。
釜石駅の駅舎の中にある「さんてつジオラマカフェ」。駅の内装をそのまま活かした店内には、釜石駅とその周辺を再現した精密なジオラマがありました。これがなかなかすごいものでした。
お店の方は、いつか駅を再開するときまで使っているのだ、と言いつつ「できればこのままお店を続けていきたい」と話すのでした。
大阪からきた女性と、その夫が営むお好み焼きと大阪ファッションのお店を訪ねる鶴瓶さんと高橋さん。そこで、津波で流された物を管理しているという女性に出会います。
その管理している場所に行くと、津波で流されながらもなんとか見つけ出すことができた多くの写真が、洗浄した上で保管してありました。自分の写真がないかと訪ねてくる人の中には、見ているうちに辛くなり、「もう見られない」と涙ぐむ方もおられる、と女性は言います。
女性の子ども2人は、いわゆる「釜石の奇跡」で助かることができた子どもたち。しかし、今でも当時の恐ろしい記憶に苛まれている様子を切々と語るのです。
女性は、「釜石の町のほうにはみんなが来て、鵜住居(うのすまい)や箱崎のある半島には誰も行かないけれど、あそこは本当に何もない状態。ぜひそこにも行って欲しい」と、鶴瓶さんや高橋さんに訴えるのでした。
さらに鶴瓶さんと高橋さんは、息子さん夫妻と津波に流されるも助かった女性の営むお店へ。そこには、岩手日報の記者が撮影したという、津波が女性の間近に迫る様子を捉えた写真がありました。
津波から辛くも助かり、息子さんと再会を果たしたときの様子を涙ながらに語る女性。
「津波のときの話は聞かれればするけど、うちでやることはない。やはり思い出したら涙が出る」と•••。
一方、出会った人の中には、震災がきっかけとなって恋に落ち、新たな人生を歩むことになった女性もいました。
避難先で一緒になった地元の男性と恋仲になった女性。相手の男性は、津波に飲まれた人を体を張って救助してもいました。
また、復興支援のためにやって来た広島県警の男性と結婚することになり、生まれる寸前の子どもを身籠った女性も。父親を津波で亡くすという不幸に見舞われながらも、新たな希望を抱きながら人生の門出を歩き出そうとしていました。
嬉しいことに、番組のロケを終えたあとの先月、その女性は無事に出産したとか!
今もなお生々しく残る、震災の辛い記憶と心の傷。そして、それを抱えながらも新たな希望を抱きながら少しずつ歩み出そうとする釜石の人びと。その姿がしばしば胸を打ちました。
大槌町を再訪する、来週の後篇もぜひ観たいと思います。
初回放送=3月4日(月)、午後8時~8時43分
元マラソン選手でスポーツキャスターの高橋尚子さんと、岩手県の釜石市、そして昨年も訪問した大槌町を再度訪ねる旅の前篇でありました。
釜石駅前で落ち合った鶴瓶さんと高橋さん。釜石駅前には真新しい鐘がありました。それは、震災の記憶をとどめるための鐘でした。駅前におられた、被災地ツアーのボランティアガイドによれば、津波は駅前で1~2メートルに達していた、というのです。
釜石駅前では、いきなり様々な人びとと出会うことになりました。
お互いを「おかあさん」と呼び合う女性と、その息子さんの妻。女性と息子さん夫妻はそれぞれ津波で流されるも、なんとか助かることができたといいます。また、大阪から釜石に嫁いできたという女性は、大阪にいた時分には阪神・淡路大震災に遭い、さらに釜石で東日本大震災にも遭い、家を流されてしまった、というのです。
釜石駅の駅舎の中にある「さんてつジオラマカフェ」。駅の内装をそのまま活かした店内には、釜石駅とその周辺を再現した精密なジオラマがありました。これがなかなかすごいものでした。
お店の方は、いつか駅を再開するときまで使っているのだ、と言いつつ「できればこのままお店を続けていきたい」と話すのでした。
大阪からきた女性と、その夫が営むお好み焼きと大阪ファッションのお店を訪ねる鶴瓶さんと高橋さん。そこで、津波で流された物を管理しているという女性に出会います。
その管理している場所に行くと、津波で流されながらもなんとか見つけ出すことができた多くの写真が、洗浄した上で保管してありました。自分の写真がないかと訪ねてくる人の中には、見ているうちに辛くなり、「もう見られない」と涙ぐむ方もおられる、と女性は言います。
女性の子ども2人は、いわゆる「釜石の奇跡」で助かることができた子どもたち。しかし、今でも当時の恐ろしい記憶に苛まれている様子を切々と語るのです。
女性は、「釜石の町のほうにはみんなが来て、鵜住居(うのすまい)や箱崎のある半島には誰も行かないけれど、あそこは本当に何もない状態。ぜひそこにも行って欲しい」と、鶴瓶さんや高橋さんに訴えるのでした。
さらに鶴瓶さんと高橋さんは、息子さん夫妻と津波に流されるも助かった女性の営むお店へ。そこには、岩手日報の記者が撮影したという、津波が女性の間近に迫る様子を捉えた写真がありました。
津波から辛くも助かり、息子さんと再会を果たしたときの様子を涙ながらに語る女性。
「津波のときの話は聞かれればするけど、うちでやることはない。やはり思い出したら涙が出る」と•••。
一方、出会った人の中には、震災がきっかけとなって恋に落ち、新たな人生を歩むことになった女性もいました。
避難先で一緒になった地元の男性と恋仲になった女性。相手の男性は、津波に飲まれた人を体を張って救助してもいました。
また、復興支援のためにやって来た広島県警の男性と結婚することになり、生まれる寸前の子どもを身籠った女性も。父親を津波で亡くすという不幸に見舞われながらも、新たな希望を抱きながら人生の門出を歩き出そうとしていました。
嬉しいことに、番組のロケを終えたあとの先月、その女性は無事に出産したとか!
今もなお生々しく残る、震災の辛い記憶と心の傷。そして、それを抱えながらも新たな希望を抱きながら少しずつ歩み出そうとする釜石の人びと。その姿がしばしば胸を打ちました。
大槌町を再訪する、来週の後篇もぜひ観たいと思います。