NHKスペシャル『完全解凍!アイスマン ~5000年前の男は語る~』
初回放送=3月24日(日)午後9時00分~9時49分
1991年。イタリアとオーストリアの国境にあるヨーロッパ・アルプスの一角、エッツタール・アルプスの標高3210メートルの地点から発見された一体のミイラ。
解析の結果、ミイラは今から5300年前のものと判明。時はメソポタミア文明の初期であり、日本では縄文時代の頃にあたります。身長160cm、46歳前後の男性であるこのミイラは「アイスマン」と呼ばれ、人類の至宝として厳重に冷凍保存されてきました。
発見から20年後、アイスマンを解凍した上で徹底的に分析、調査する試みが行なわれました。番組はそこからわかってきた驚きの事実を伝えていきます。
解凍されたアイスマンからは、胃、脳、肺、腸をはじめとした身体の各所から、149点のサンプルが取り出されました。
腐敗を防ぐために内臓を取り除いて作られた、古代エジプトなどの人工的なミイラと異なり、すべてが死んだ時のままに残されてミイラ化した「アイスマン」は、まさにタイムカプセルでした。胃から取り出された200gの固形物には、アイスマンが死の直前まで食していた食べものの痕跡がしっかりと残っていました。
固形物を分析すると、まず目立ったのは動物の脂肪や毛。ヤギの一種であるアイベックスのほか、シカやウサギの肉も見つかりました。さらに、肉とともに見つかった植物はハーブの一種であることが判明。ミイラ研究者は、当時の人びとが「多様な食材をバランスよく、おいしく食べていた」といい、「5000年前の人間が、こんなにおいしい食事をしていたとは」と驚きます。
さらに、検出された小麦には煤の粒子が付着していました。どうやら、パンも焼いて食べていたらしいのです。
1万年前にメソポタミアにおいて生み出され、その2000年後には古代エジプトでも食べられるようになったパンは、アイスマンが生きていた5300年前のヨーロッパにも伝わっていたようです。当時はアルプス地方でも、すでに狩猟採集から農耕生活へと移行していたのです。
アイスマンの皮膚には、複数の平行線や十文字を描いた、煤によるタトゥー(いれずみ)がありました。これらは、なんと鍼灸治療におけるツボの位置と一致していました。X線による解析の結果、アイスマンは腰を痛めていたことがわかり、その治療のためにツボがある位置に印をつけたのでは、と研究者はいいます。
中国で鍼灸治療が確立したのが約3000年前のこと。それより2000年以上も前に、ヨーロッパでツボを刺激する治療が行なわれていた可能性が出てきたのです。これにはかなり驚かされました。
アイスマンが身につけていた衣類や持ち物からも、当時のアルプス地方に高い文明があったことが垣間見えます。
熊の皮などを使い保温性を高めた靴。2色の毛皮を縫い合わせ、思いのほか「おしゃれ」だったことを窺わせるマント。そして純度99.7%の銅で作られた斧は、高度な精錬技術の存在を物語ります。
なぜ、アイスマンは標高3000mという高い山で死んでいたのか。これまでは、雪山の中で遭難したのでは、とみられていましたが、解析から見えてきたアイスマンの死の真相も、また驚くべきものでした。
腸から見つかった複数の植物の花粉から、時間経過と現地の植生を割り出した結果、何かから逃げるために高度のある山中を登り降りしていたことがわかりました。一体、何から逃れようとしていたのか?
X線解析で、アイスマンの左肩のあたりに刺さっていた矢尻が見つけられました。それによる大量出血により、アイスマンは瀕死の状態だったといいます。さらに、脳のサンプル調査で見つかった赤血球から、即死につながるような脳内出血をしていたことも判明。
アイスマンは何者かによって矢で射られ、そのあと殴り殺された、というのです。
左腕を折り曲げ、うつ伏せになって死んでいたアイスマン。それも、アイスマンを殺した人物が矢を抜くために死体を動かした結果、といいます。
当時の矢は、狩りのときに誰のものかがわかるように、それぞれに特徴を持った「名刺」のようなものだったとか。そこで、殺したのが誰なのかわからないよう、いわば証拠隠滅のために矢を引き抜いていった、と。
アイスマンの徹底解析は、その死に至る生々しい状況をも、目に見えるかのように明らかにしたのです。
アイスマンを通して、5300年前の時代とそこに生きた人間の姿に迫っていく過程は、なかなかにエキサイティングでありました。
意外なまでに高度だったらしい古代のヨーロッパにおける文明のありようが、これからどのような形で明らかになっていくのか。今後の展開が楽しみになってきました。
初回放送=3月24日(日)午後9時00分~9時49分
1991年。イタリアとオーストリアの国境にあるヨーロッパ・アルプスの一角、エッツタール・アルプスの標高3210メートルの地点から発見された一体のミイラ。
解析の結果、ミイラは今から5300年前のものと判明。時はメソポタミア文明の初期であり、日本では縄文時代の頃にあたります。身長160cm、46歳前後の男性であるこのミイラは「アイスマン」と呼ばれ、人類の至宝として厳重に冷凍保存されてきました。
発見から20年後、アイスマンを解凍した上で徹底的に分析、調査する試みが行なわれました。番組はそこからわかってきた驚きの事実を伝えていきます。
解凍されたアイスマンからは、胃、脳、肺、腸をはじめとした身体の各所から、149点のサンプルが取り出されました。
腐敗を防ぐために内臓を取り除いて作られた、古代エジプトなどの人工的なミイラと異なり、すべてが死んだ時のままに残されてミイラ化した「アイスマン」は、まさにタイムカプセルでした。胃から取り出された200gの固形物には、アイスマンが死の直前まで食していた食べものの痕跡がしっかりと残っていました。
固形物を分析すると、まず目立ったのは動物の脂肪や毛。ヤギの一種であるアイベックスのほか、シカやウサギの肉も見つかりました。さらに、肉とともに見つかった植物はハーブの一種であることが判明。ミイラ研究者は、当時の人びとが「多様な食材をバランスよく、おいしく食べていた」といい、「5000年前の人間が、こんなにおいしい食事をしていたとは」と驚きます。
さらに、検出された小麦には煤の粒子が付着していました。どうやら、パンも焼いて食べていたらしいのです。
1万年前にメソポタミアにおいて生み出され、その2000年後には古代エジプトでも食べられるようになったパンは、アイスマンが生きていた5300年前のヨーロッパにも伝わっていたようです。当時はアルプス地方でも、すでに狩猟採集から農耕生活へと移行していたのです。
アイスマンの皮膚には、複数の平行線や十文字を描いた、煤によるタトゥー(いれずみ)がありました。これらは、なんと鍼灸治療におけるツボの位置と一致していました。X線による解析の結果、アイスマンは腰を痛めていたことがわかり、その治療のためにツボがある位置に印をつけたのでは、と研究者はいいます。
中国で鍼灸治療が確立したのが約3000年前のこと。それより2000年以上も前に、ヨーロッパでツボを刺激する治療が行なわれていた可能性が出てきたのです。これにはかなり驚かされました。
アイスマンが身につけていた衣類や持ち物からも、当時のアルプス地方に高い文明があったことが垣間見えます。
熊の皮などを使い保温性を高めた靴。2色の毛皮を縫い合わせ、思いのほか「おしゃれ」だったことを窺わせるマント。そして純度99.7%の銅で作られた斧は、高度な精錬技術の存在を物語ります。
なぜ、アイスマンは標高3000mという高い山で死んでいたのか。これまでは、雪山の中で遭難したのでは、とみられていましたが、解析から見えてきたアイスマンの死の真相も、また驚くべきものでした。
腸から見つかった複数の植物の花粉から、時間経過と現地の植生を割り出した結果、何かから逃げるために高度のある山中を登り降りしていたことがわかりました。一体、何から逃れようとしていたのか?
X線解析で、アイスマンの左肩のあたりに刺さっていた矢尻が見つけられました。それによる大量出血により、アイスマンは瀕死の状態だったといいます。さらに、脳のサンプル調査で見つかった赤血球から、即死につながるような脳内出血をしていたことも判明。
アイスマンは何者かによって矢で射られ、そのあと殴り殺された、というのです。
左腕を折り曲げ、うつ伏せになって死んでいたアイスマン。それも、アイスマンを殺した人物が矢を抜くために死体を動かした結果、といいます。
当時の矢は、狩りのときに誰のものかがわかるように、それぞれに特徴を持った「名刺」のようなものだったとか。そこで、殺したのが誰なのかわからないよう、いわば証拠隠滅のために矢を引き抜いていった、と。
アイスマンの徹底解析は、その死に至る生々しい状況をも、目に見えるかのように明らかにしたのです。
アイスマンを通して、5300年前の時代とそこに生きた人間の姿に迫っていく過程は、なかなかにエキサイティングでありました。
意外なまでに高度だったらしい古代のヨーロッパにおける文明のありようが、これからどのような形で明らかになっていくのか。今後の展開が楽しみになってきました。