『二郎は鮨の夢を見る』(原題『JIRO DREAMS OF SUSHI』2011年、アメリカ)
監督=デヴィッド・ゲルブ
出演=小野二郎、小野禎一、小野隆士、山本益博
東京・銀座の地下にある鮨店「すきやばし次郎」。カウンター10席だけの小さなお店ながら、内外の食通のみならず、ジョエル・ロブションなどのプロ料理人の舌をも唸らせた名店です。「ミシュランガイド東京」では最高の3つ星評価を、しかも6年連続で受け続けるという栄誉にも浴しています。
そんな名店を切り盛りするのが、小野二郎さん。80歳を越えてもなお、現役の鮨職人として腕をふるっています。そして、そんな二郎さんを師として尊敬し、少しでもその域に近づこうと切磋琢磨する2人の息子さん。
本作は、二郎さんの生きざまに魅せられたという若きアメリカ人、デヴィッド・ゲルブ監督が、二郎さんの「仕事の流儀」と人生哲学を、長期にわたる密着取材により描き出したドキュメンタリー映画です。
子どもの頃から家族旅行で日本を訪れ、鮨にも親しんでいたというゲルブ監督。本作は、単なるもの珍しさだけで描かれたものとは一線を画し、日本の職人文化への深い理解と畏敬の念が込められているように思えました。撮影当時26歳だったという、ゲルブ監督の真摯な姿勢に敬服しました。
そして、クラシック音楽をバックにして映し出される、職人たちの仕事を捉えた流麗な映像には、思わず身を乗り出して観ておりました。なにより、二郎さんの握る鮨の1つ1つが、まことに美味しそうに映像に収められていて、観ていてお腹が鳴ってきて困るくらいでありました(鑑賞したのが夕食前だったもので•••)。
「シンプルなんだけれど、余計なことを一切していない。シンプルを極めるとピュアになる」
二郎さんとゲルブ監督との橋渡しをつとめ、映画にも登場している料理評論家・山本益博さんがそのように評する二郎さんの鮨の精髄を、ゲルブ監督は見事な映像として表現していました。
映画の中で二郎さんが語ることばにも、印象深いものが多々ありました。
「自分の仕事に惚れこまなければダメだ。あれがダメ、これがダメと言っていては、いつまで経ってもまともなことはできない」
「大トロはどこで出しても同じだけど、中トロや小トロは微妙。だから味をみるなら中トロか赤身」
「いいネタを仕入れて握るのが職人。だから儲かろうが、儲からなかろうが、それはどうでもいい」
「うまいもんを作るのであれば、自分がうまいもんを食わなければいけない」
撮影当時85歳の二郎さんの口から語られる「仕事の流儀」や人生哲学。そして85歳にしてなお、自分の現状に満足することなく、さらに前を、上を目指そうとする姿勢。ひたすら唸らされ、圧倒されました。
そんな二郎さんをサポートしながら、やがて来る世代交代の時のために知識と技術を身につけようとしている長男の禎一さんと、今は独立して支店を構えている次男の隆士さん。2人の息子さんは、偉大な父であり師でもある存在を引き継ぎ、超えていこうとすることの重さを語ります。
さらに、乱獲や大量消費により、思うように魚が入らなくなってきている現状にも触れられます。「これからは商売のことを考えながらも、資源を守っていくようにしなければ」という、禎一さんのことばが響きました。
それでも、父への敬意と仕事への誇りを胸に、地道に信じる道を歩もうとする2人の息子さんの姿は、しみじみと感慨深いものがありました。
ゲルブ監督はさらに、二郎さんたちを支える人たちも印象的に描いています。ことに、築地市場の魚の仲買人や、シャリのお米を納入している業者さん、それぞれのプロフェッショナルぶりもなかなか見事なものがありました。
そして、二郎さんのお店で見習いとして働いている若者たちも。
「自分は卵焼きがうまく焼けると思っていたが、いざやってみるとなかなかうまくいかなくて。200回近く失敗したあと、ようやくうまく焼けたのを(二郎さんに)褒めてもらい、「職人さん」と呼んでもらえたときには涙がでて•••」
という、1人の見習いの若者が語った話には、ちょっとホロリとするものがありました。
エンドクレジットには、東日本大震災で亡くなった人びとを悼むことばが記されていて、そのことも印象に残りました。
想像していた以上に刺激を受け、心に響くものがたくさんあった作品でした。ぜひとも多くの人に観ていただきたい一作です。