イエールジ・コジンスキーによる同名小説の映画化です。
以前私がこのブログで書評を書いたときには『映像化は絶対不可能、これは本でしか味わえない得難い経験でもあります 』と記したのですが、何と恐るべきことに映画化されてしまいました。
残酷描写オンパレードの万華鏡世界のような小説ですが、映画はこれを忠実に淡々となぞっていきます(原作から少しづつ変えてある部分を見つけるのは読んでから観に行ったヒトの特典です)。
※人々に『理由のない死』が次々と降りかかる毎日が淡々と描写されていく。
でも『ストーリーを忠実になぞるのは果たして正しい作り方だったのか? 』と疑問が残ります。
結果として、原作を読んだヒトには『TVシリーズの総集編を観ているようにスカスカな内容で物足りない』、原作を読んでないヒトには『経緯の説明が少なすぎて、何だかよくワカラナイ』映画になってしまったのでは?と危惧しています。
白黒映画にしたのは秀逸な工夫で、これ原色だとちょっと観れないです。
人間や動物が『これでもか』というぐらい残酷な仕打ちを受け、無意味に殺されていきます。
※まじない師の老婆は少年を見て『この子は悪魔の使いだよ』と村人たちに言う。
『自分とは異なったものを排除する』無知で粗野な村人たちから『黒い髪と黒い眼をしている(ユダヤ人の特徴)』というだけで『邪眼を持った悪魔の使いだ』とされ、いわれなき虐待を受け続ける主人公・・・可愛がっていたペットを焼き殺され、殴られては、川に抛り込まれ、流れ着いた先でも恐るべき虐待やら強姦やら殺人やらを眼にすることになる・・・。
※貨物列車で強制収容所に運ばれるユダヤ人たち。
少年の命を救うのがドイツ軍兵士なのは皮肉です。・・・捕らえた少年を殺すに忍びない兵士は、撃ち殺したふりをして少年を逃がします。
※敵であるはずのドイツ軍兵士に命を助けられる少年。
辿り着いた先で『もうここには居られない』と思う都度、少年は『流れ星』ひとつを手にして脱出します。
『流れ星』とは釘でいくつもの穴を開けた空き缶に1メートル程の針金の輪を通し手に持てるようにしたもので、これに火種を入れて振り回すと消さずに持ち運ぶことができ、獣除けにもなるのです。
映画ではこの旅して生きるのに必須の道具である『流れ星』を手に入れるため、少年が旅人を襲うシーンがあるのですが、原作を読んでないヒトには、ただの追いはぎにしか見えないため『空き缶ひとつのために傷害事件まで起こす』その切実さが伝わってきません。
※映画『異端の鳥』戦争の非情さを感じる予告映像
少年は生きるための自分なりの正義(目には目を、歯には歯を)を身につけて、この地獄を生き抜きますが、手酷い虐待を受け続けたために言葉を失ってしまいます。やがてドイツ軍の敗退とともに赤軍に救助され、運よく父親にも巡り合うのですが、地獄をくぐり抜けてきた少年は優しい言葉を掛けてくる父親を認めることができません。
母親の元に向かうバスの中で、父親の腕に番号を記した入れ墨があるのに気づく少年。父親もまた地獄を生き延びて巡り合ったのだと知った少年は、長い間呼ばれたことのなかった自分の名前を窓ガラスに指で書くのです。
『JOSKA(ヨスカ)』と。
上映時間3時間の大作です。『3時間ずっと地獄』の映画、覚悟をもってご覧ください。
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