しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

児島惟謙

2021年12月28日 | 銅像の人
場所・愛媛県宇和島市丸之内

今も宇和島市民の誇り。
「大津事件」の大審院長。
結果は、ロシアとの関係悪化せず、欧米からは近代国家と認識され国威が高まった。


「その時歴史が動いた8」 NHK取材班  中央出版 2001年発行

いまから百年あまり前、
西洋近代国家の仲間入りをめざしていた日本に
ロシア皇太子ニコライがやってきた。
のちのニコライ二世、ロシア最後の皇帝である。
当時、ロシアは日本にとって大きな脅威だった。
明治24年(1891)5月11日、事件は起こった。
警備にあたっていた巡査・津田三蔵がニコライに斬りかかったのだ。
事件の対応をめぐり、日本は大きく揺れた。
ロシアとの戦争を避けるため、
犯人を死刑にしようとする伊藤博文と明治政府。
生まれたばかりの法制度を守ろうと、
死刑に反対する児島惟謙と裁判官たち。
多くの裁判官が政府の圧力に屈するなか、
法を守ることこそ裁判官の職務であると訴える児島の言葉が、
裁判官の心を揺さぶる。
明治24年5月27日、判決の日を迎えた。







「歴史誕生12」 NHK取材班 角川書店  平成3年発行

パニックは東北の山村まで広がり”国民総懺悔”の世論が形成されていった。

津田姓、三蔵名を禁止する
事件に対して謝罪しようという動きは東北の山村にも及んだ。
山形県金山町では、事件二日後に緊急村会議が召集され、条例が制定された。
一条 本村住民は津田の姓をつけてはならない。
二条 本村住民は三蔵の名をつけてはならない。

・・・

焦点となった犯人の処罰

司法省は、犯人は殺人を犯したわけではなく、傷つけただけなのだから暗殺未遂を適用するのが妥当であるという意見が示された。

政府としては何としても極刑にもちこみたい。
これに対して、政府に真っ向から反対したのが、現在の最高裁判所長官にあたる大審院長児島惟謙である。



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Wikipedia
児島 惟謙は、明治時代の日本の司法官、政治家。
大津事件の際には、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された。
後に貴族院議員、衆議院議員。

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撮影日・2021.12.24




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伊佐庭如矢

2021年12月28日 | 銅像の人
場所・愛媛県松山市道後温泉

明治22年、温泉郡道後町が発足。初代の町長さん。





NHKテレビの人気番組「ブラタモリ」によれば、
この町長さんが道後温泉本館を建築し、路面電車の敷設を市街地→道後・三津浜→道後敷設に尽力したそうだ。







撮影日・2021.12.25

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