しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「石の島」犬島

2023年03月14日 | 昭和で無くなったり・変わったもの(生活・暮らし・産業)

犬島は変遷が激しい島だ。
最初、阪神築港への石の供給で栄え、
次に、帯江銅山の精錬所で栄え、
今は、ベネッセのアートで栄えている。

 

 

(岡山市東区犬島 2022.9.26)

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「瀬戸内海を歩く」  中国新聞社 1998年発行


「石の島」犬島

花崗岩地帯の瀬戸内海には「石の島」と形容される島が数多い。
古くは島の段々畑から巨城の石垣、近代には建物や橋に瀬戸内海の石が求められた。

 

犬島
1899(明治32)年、大坂築港の採石ピーク時に、どこよりも早く削岩機が導入されていた。
銅精錬所も活況にあふれ、港には劇場、料亭、旅館が並んだ。
人口は五、六千人でにぎわった。
丁場が海べり、大阪までの距離が近い。
現在の丁場は一つ、作業員は三人。
大坂城の石垣復元に犬島産が使用されている。
「コンクリの時代になり、おまけに輸入ものが増えりゃあ、役目は済んだ」

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(岡山市東区犬島 2022.9.26)

 

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緒方郁蔵(研堂)

2023年03月14日 | 銅像の人

井原や芳井の人からも忘れ去られた偉人。

 

場所・岡山県井原市芳井町

 

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「芳井町史」 井原市史編纂室 平成20年発行


緒方郁蔵へ位階追贈

後月郡簗瀬村出身で、緒方洪庵と義兄弟の盟約を結んだ医師緒方郁蔵は、
明治4年7月9日病死した(享年58才)。
大正7年になり郁蔵の遺族が2年後の7月に没後50年祭を計画するが、これを知った大阪府知事は、
内務・文部両大臣宛てに大正7年9月23日付で「位階追贈」の内申を行った。
この結果、翌8年11月15日「従五位」の追贈が決定した。

両大臣宛ての「内申」には、郁蔵について次のような評価が記述されている。
洋学を修め、医術を究めもって新式の治療を施し、あるいは諸生を教導し、各種の著述をなす等、学界に貢献せし」

 

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「岡山人じゃが2011」 岡山ペンクラブ 吉備人出版 2011年発行  

井原生まれ、幕末の蘭方医
緒方研堂(緒方竹虎の祖父)をもっと理解しよう
赤井克己

大坂・適塾創始者緒方洪庵(1810~1863)は著名な蘭学者。
一方、同時期の蘭方医、井原生まれの緒方研堂(1814~1871)は、
洪庵と義兄弟の契りを結ぶほど肝胆相照らす仲。
適塾運営に協力するとともに医学振興に尽くしたが、PR不測のせいか事跡が語られることは少ない。
著名な政治家緒方竹虎の祖父であることも知る人はほとんどいない。
今年は研堂没後140年、知られざる備中出身蘭方医緒方研堂の生涯について。

研堂は文化11年備中国後月郡簗瀬村に生まれた。姓名は大戸郁蔵である。
江戸末期、この簗瀬地区は研堂、その師山鳴大年、養子の弘斎らの蘭学者を輩出した。

天保9年(1838)洪庵が適塾を開くと入門。
刑場での解剖、種痘、ロシア船の通訳も務めた。
このため洪庵の信頼は大きく、義兄弟として緒方姓を名乗ることを許され、研堂と号した。

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撮影日・2021年3月27日

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「石の島」黒髪島

2023年03月14日 | 昭和で無くなったり・変わったもの(生活・暮らし・産業)

黒髪島は住民ゼロのため定期船はない。
採石場で仕事をする人たちは、専用船で通勤しているようだ。

黒髪島の南側には”回天”で有名な大津島がある。


(Wikipedia)

黒髪島
山口県周南市の徳山港から南西方向に1.2kmの沖合いにある島。
徳山港から船で渡ると、細長い仙島の南にほぼ円形のかたちで横たわっている。周囲が約16km。
黒髪島は、「徳山みかげ」と呼ばれる御影石の採石で知られ、明治の当初から採石事業が行われ、
1917年の国会議事堂の建設に当たっては、議事堂の腰部、中庭の外装、空堀の周辺などに使用されている。
この事業は、黒髪石材が一手に行っている。島自体は、国有地である。

 

 

(徳山→大津島航路から見る黒髪島 2014.7.12)

 

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「瀬戸内海を歩く」  中国新聞社 1998年発行

 

黒髪島

黒髪島の石も、倉橋島とともに国会議事堂の外装を担った。
徳山港から大津島を経由する巡航船で黒髪島に渡った。
船は採石場の目の前の岸壁に着いた。
石を切り取った山肌がそそり立つ。
全島が黒雲母花崗岩からなる石の島。
船を降りると、石を切り取るジェットバーナーの音が地響きのように伝わった。

「山の標高170mあたりから掘り崩し、今は海面下30mまで進んでいます」
60年代後半に導入されたドリル、火薬、運搬重機のおかげで、石工の仕事もすっかり変わった。

「徳山みかげ」の名で知られる黒髪石は、墓石や灯ろう、敷石、階段、モニュメントなどに重宝される。
島には、原石を切り出す採石場と墓石などを仕上げる加工工場が並んでいる。

四、五mの発破穴は、一服する間にドリルで開けてしまう。
「ひとつだけ変わらんのは石の目を読むことに大切さ」
経験をつめば目は読める。
目にそってゲンノウを打てば、大石も簡単に割ることが出来る。
目に逆らえばびくともしない。
この職人技だけは、石工の変わらぬ誇りなのである。

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「石の島」つづく

 

 

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「石の島」倉橋島

2023年03月14日 | 昭和で無くなったり・変わったもの(生活・暮らし・産業)

倉橋島はずいぶん大きな島で、音戸町と倉橋島町の二町から成っている。
現在は呉市だが、呉の人も音戸町や江田島市への往来はあろうが、
倉橋島町への機会は数ないと思える。
しかし、そのぶん知られていない魅力の倉橋町が多いような気がする。

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議院石
(Wikipedia)
議院石(ぎいんせき)は、広島県呉市倉橋島町納地区で産出される赤色や桜色系統の色彩の花崗岩。

大正時代に国会議事堂の外装に使用されたことから「議院石」と称される。

 

(呉市倉橋島町尾上 2013.1.15)

 

 

「瀬戸内海を歩く」  中国新聞社 1998年発行
石の島

倉橋島

国会議事堂は瀬戸内海の石からなる。
外装の石垣は、広島県の倉橋島、山口県徳山沖の黒髪島。
二階以上の外壁と衆参両院の玄関の大きな柱が倉橋島の「桜みかげ」と呼ばれる花崗岩。
『議員石』というブランドで衆参両院議員会館、埼玉県議事堂、貿易センタービル、新潟県庁、宮城県庁など。

1970年代は「掘れば売れる売れる時代で、石屋はこれほどもかるものか」と驚いた。
やがて列島改造の建築ブームとなり、ヤマは切り出しの機械が一日中うなりをあげていた。

しかし絶頂期はそう長く続かない。
オイルショック後の不況に加え、80年代にはいると韓国、中国からの輸入石が安く出回り、高い国産材は敬遠されはじめた。
うなりをあげた削孔機の音は鳴りをひそめ、
海辺の工場で輸入石の壁材や敷石加工が主の作業となった。

議院石の埋蔵量はたっぷりある。しかし指名は落ち込んでいる。

 

(呉市倉橋島町尾上 2013.1.15)

 

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「石の島」つづく

 

 

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