瀬戸内海の海辺りの地方では、昭和30年代まで盛んだった除虫菊。
瀬戸内のどこでも見れた除虫菊も
今では因島まで行かないと、その花を見ることはできない。
(2011.5.13 因島)
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「瀬戸内海を歩く」 中国新聞社 1998年発行
花咲く島々
白いじゅうたん
広島県因島市重井町
五、六歳の頃、
朝は五時起きで、乾燥作業を手伝った。
こぎ落した花部分を、広げたムシロに敷き詰める。
乾燥を早めるため、途中で花を裏返す。
一家総出の仕事である。
五月から六月の数週間は殺気立っていた。
乾燥しすぎると、花が黒ずみ,等級が下がり買いたたかれた。
麻袋に大きな農家では五、六十俵出した。
ピークは1962(昭和37)年。
当時の換金作物の代表格。
天気次第で作柄が変わり、相場商品だった。
化学合成されはじめると、メーカーは除虫菊をあてにしなくなった。
1977年には姿を消した。
その頃絶頂だったミカンに一足遅れて参入する。
ミカン暴落後は、放置され徐々に山に戻った。
平地の畑は野菜・スイカ畑に変わった。
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(2011.5.13 因島)
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除虫菊
(父の話)
畑ゆうたら「麦」「芋」「除虫菊」が多かった。
除虫菊はめんどくせぇ。(刈ったあとで)
菊の花を落とす。
植えるのは新涯の畑が多かった。
カド(家の庭)へひろぎょうた。
雨が降ったらいけんので畑には干さんようにしょうた。
どこの家にも除虫菊はつくりょうた。
砂地。
花を摘んで干しょうた。
庭にむしろをひいて干しょうた。
買い人が来て(茂平の農家から)買うていきょうた。
じく(除虫菊の幹)はくすぼらす。捨ちょうらなんだ。晩にくすぼらせば蚊やこがきょうらなんだ。
2002年6月23日
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