場所・広島県福山市田尻町
田尻の「杏まつり」が4年ぶりに開催された。
鞆街道の田尻の手前の水呑(みのみ)では、同じく4年ぶりに「ふくやまマラソン」も重なって開催された。
「たじり杏まつり」は、なんといっても地域住民によるイベントという雰囲気が好きだ。
企業や行政のにおいがほとんどしない。そこが魅力で、晴れた日の「杏まつり」には参加している。
今年は快晴の春の日で、4年ぶりのイベントを堪能することができた。
「たじり杏まつり」 リーフレット
田尻町の杏は、現在長野県の千曲市に次いで日本第二位の位置を占めて、
西日本はおろか関東のほうにまで名を馳せています。
この杏は一朝一夕に出来たものではありません。
天和元年(1681)北九州の大分県から円明寺住職が入村の時、杏の種を持ってこられ、
寺の墓地に植え付けられたのが始まりとしています。
それ以後、金崎地域に最も多く栽植されて鞆の港より各地に運んで声価を高めたとの事です。
明治・大正・昭和の第二次大戦の前頃には家毎に数株以上植え付けられて、
その収益は地租、諸雑貨の支払いに充てられていました。
また、花時には観客が多く訪れて、賑わいを極めたものと言われています。
『あんず物語』 杏のふるさと資料より
戦前までは田尻特産として有名な杏も、時代の変遷の中でその殆どが姿を消す寸前までになりました。
そこで、まちの温もりを取り戻そうと願う多くの町民が、
40数年前に田尻の町おこしとして”田尻町杏のふるさと振興会”を発足され、
以後懸命なご努力を続けてこられた賜物として『杏の町たじり』として、
広く皆様に知ってもらえるまでになりました。
これを”杏まつり”として31年前に有志の方々が企画され、
今では町内挙げてのお祭りとして、たくさんの方々に喜んでいただいております。
しかし、杏の維持管理には剪定・防除・除草・収穫作業等を要し出荷部会の方々の高齢化と後継者不足が深刻な問題となっております。
年間25日位で午前中の作業です。
町内の方に限らず杏に興味のある方、ご協力いただける方は是非ご参加ください。
たじり杏まつり実行委員会
訪問日・2023.3.19