しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」行ゝてたふれ伏とも萩の原 (山中温泉)

2024年09月12日 | 旅と文学(奥の細道)

曾良は腹を病んでいた。
温泉療養のかいなく、芭蕉と別れることになった。

芭蕉・曾良・北枝の三人が別れの句を詠んだ。

 


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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

行々てたふれ伏すとも萩の原   曾良

(私は病気の身で旅立って行くのだが、歩いた末に行き倒れになるかも知れない。
それが折から盛りの萩の原であったら、死んでも本望である。)

と書き残した。
行く者の悲しみ、残る者の無念さ、
これまで何時も一緒だった二羽の鳧(けり)が別れ別れになって、雲間に迷うようなものである。

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旅の場所・石川県加賀市「山中温泉」 
旅の日・2020年1月28日                  
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行


七月二十七日から八月五日まで、芭蕉は十日間も山中に滞在した。
ずいぶん長い滞在であったが、それは和泉屋で大事にされて居心地がよかったからであった。

しかしそれだけではなく、この温泉で曽良にゆっくり休養させ、その全快をまっていたのである。
曽良は金沢に滞在中から健康を害していた。
山中で湯治をしてみたが、完全になおるまでには至らなかった。
もともと芭蕉の労を助けるために、同行して来たのだが、
健康を害した自分がいつまでもつきまとっていては、かえって迷惑をかけることにもなる。 
苦楽を共にした長い道中も終りに近づき、 今は北枝が随行しているし、
福井には師の旧知の等栽もいることだからという安心感もあった。
曽良は芭蕉と別れて、伊勢の長島で病を養うために、ひとり先行することになった。


馬かりて燕追ひ行くわかれかな  北枝

芭蕉と別れて一足先に伊勢の長島に行く曽良を見送る句である。
馬をやとって、南に帰る燕を追うようにして帰って行く曽良の姿を想像しながら別れを惜しんでいるのである。

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