しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

高梁川改修事業

2020年10月08日 | 大正
「岡山県政史」  岡山県 昭和44年発行

高梁川改修事業


この工事は、内務省の直轄施行であったが、中途で第一次世界大戦の勃発があり、着工以来20ヶ年で大正15年にいたって竣工した。






高梁川東西用水組合の設立

高梁川改修工事に伴い、都窪郡清音村古池以下の都窪郡・浅口・児島の3郡19ヶ町村の6.580町歩の区域は、従来の諸用水組合を統合して高梁川東西用水組合を設立し、
酒津に統一した配水池・分水樋門・水路を設けるなどの工事を行った。


廃川地の処分

この事業によって、高梁川下流の東西両川のうち、東川は廃川となり、その廃川敷の総面積は454町歩で、
うち37町歩は地元の事情者に無償払い下げ、
残り416町歩は県費約16万円をもって道路・用排水幹線を設けるなどして将来の開発に備えた。

なお、東川廃川敷には、昭和時代になって倉敷絹織工場(後の倉敷レーヨン倉敷工場・昭和8年酒津)、
三菱重工業水島航空機製作所(昭和18年・水島)など著名工場の設置があり、
また、戦後の水島地区開発の淵源となったものである。



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1 コメント

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高梁川東廃川地 (killy)
2020-10-09 10:08:40
旭川、吉井川が大工事を行い支流を作り、洪水に備えたのに対し、高梁川を一つにした行政の無知にあきれます。
結局、誰が得をしたかと考えれば、土地を取得したクラレ、三菱などが上がります。
船穂側では、当時の大地主が水利権を得たようです。
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