渡辺錠太郎大将が、もし国の指導者であったなら、戦争はふせげたのではないか、
という史家は少なくない。
母はよく、「昭和11~12年頃がいちばんよかった」と話していたが、
それは母個人の思いの他に、経済や暮らしの指標が有史以来頂点を示していることでもよくわかる。
その昭和11年2月に「2.26事件」は起こった。
翌年、昭和12年には「日中戦争」が始まった。
渡辺大将が斃れたのは国家の悲劇のはじまりとなった。
遺子・和子さんの人生テーマは「赦す」ことになった。
(2.26事件)
・・・・・
雑誌「文藝春秋」 2022年新年特別号
「100年の100人」 渡辺和子
皇道派の親玉は赦さない 保坂正康
私が当時88才の渡辺さんに会ったのは2016年1月初め。
著作『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーになっていた。
父親の渡辺錠太郎(陸軍の教育総監)が二・二六事件で青年将校らの襲撃を受けて殺害された時、
彼女がそれを目撃した。当時、九歳だった。
戦後は修道女となり、大学教授として次代の子女の教育にあたる中で、
人生のテーマは「赦す」ことが柱になっていたと思う。
その「赦す」とはどういうことなのか。
理事長室で、私は実に四時間も話を聞いた。
ご自身なりに人生を振り返っておきたいとの思いがあったのだろう。
渡辺さんは、父親を殺害した青年将校や兵士は「赦す」という心境に達していた。
私は一歩踏み込んで、
彼らの背後にいた軍事指導者について質した。
彼女の答えは鋭かった。
「私には、二・二六事件の背景にいた人は『赦す』の対象外です」
皇道派の真崎甚三郎について、
青年将校を煽てた責任をとっていないと具体的に語り、
その処し方を毅然として批判した。
その瞬間、
彼女がこの事件の全てを的確に理解し、
「赦す」範囲を明確に決めていることがわかった。
私はその心中に触れて涙が出そうになった。
この年、12月30日に彼女は人生を閉じた。
・・・・
2015.4.4
岡山市北区伊福町・ノートルダム清心女子大学
・・・・
『置かれた場所で咲きなさい』を私用と、3人の子供たちに購入致しました。
題名に勇気づけられましたことを思いだしております。