西行法師も訪れ、一句を残している笠島。
雨とぬかり道で、ここまで来ながら、笠島を断念した芭蕉。
その芭蕉の残念さが、読むこちら側まで伝わってくる。
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「芭蕉物語」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行
笠嶋やいづこ五月のぬかり道
中将実方の塚のある笠島はどの辺だろう。
ぜひ行って見たいと思うのだが、このぬかり道ではどうにもならない、
残念なことであるというのである。
「笠嶋や」は後になって「笠嶋は」と改めた。
「や」 も「いづこ」も疑問の意があり、それが重なり過ぎて、旬が重くなる。
それに「笠嶋や」ではせせこましい感じであるが、
「は」とすると何となくおおらかで余韻があるように思われたのである。
この句にはさまざまな感慨がふくめられていた。
その一つは藤中将の塚をどうしても訪ねてみたいという懐古的な気持である。
もう一つはぬかり道をとぼとぼと歩いて疲れきった現実の気持である。
この二つの入り乱れた気持をユーモラスな気持でかぶせているのである。
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旅の場所・宮城県宮城郡
旅の日・2019年6月29日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行
笠嶋はいづこさ月のぬかり道
五月四日(陽暦六月二十日)陸奥国名取郡増田(いま宮城県名取市)のあたりで、
笠島を訪ねたかったけれども、
「此の比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過ぐる」
に際して詠んだ句。
「笠島」は藤原実方の塚や道祖神社、西行ゆかりのかたみの薄のある村里で、
芭蕉は是非とも行ってみたいと思っていた。
しかし、折から五月雨(梅雨) の季節で、ぬかる悪路、それに疲れてもいるので、
どの辺が笠島なのだろうかと、遙かに見やるだけで通り過ぎた。
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