しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

桃娘とマスカット娘

2020年09月10日 | 昭和26年~30年
昭和30年前後、岡山駅の桃娘やマスカット娘はどのようにして乗客に売っていたのだろう?


下りの「博多行」の列車。
汽車が止まると同時に窓に寄りアピール。
売れると、品物を渡し、お金を受けとり、おつりを差し出す。
2~3人目の客になると、発車時間が迫り、時にはおつりをもって走りながら手渡しか。




こちらマスカット娘。
桃娘と同じで、売るのは特急または急行に限定された。
特急に庶民が乗ることは稀でなく、ありえない時代だった。
季節は夏。このため窓が開いているのが助かる。(当時は特急でも窓が開閉できたのだろう)






プラットホームでの、一般的な売り子は「弁当売り」で、駅弁をおじさんが売っていた。
慣れた動きと声で販売していた。



・・・・・・・・・・・・・

「目で見る岡山の昭和」 蓬郷巌著 岡山文庫 昭和62年発行


昭和4年

高松稲荷のケーブルカー開通
備中高松最上稲荷と山上の奥の院を結ぶケーブルカーが開通した。
(昭和19年廃止)


昭和27年

岡山駅に桃娘が登場(7月)
旭川で鵜飼い舟開始(9月)
順宮厚子内親王と池田隆政氏と結婚
玉島市や笠岡市が誕生


昭和31年
岡山駅にマスカット娘登場

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1 コメント

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特急列車 (killy)
2020-09-11 08:17:32
昭和40年代、受験のため上京する時、特急券を買うためには、国鉄職員のコネが必要でした。窓口に並んでも即完売という状態で、新幹線開通でこの悩みは解消されました。
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