あの頃(昭和27年)、東京から岡山はとてつもなく遠かった。
蒸気機関車に乗って、東京から、東海道本線と山陽本線を下ってくる。
15~16時間だろうか。
前にも後にも(たぶん明治以降すべて)皇女が東京を離れたことはない。
父は、天皇が遠方に捨てたような、というような話をしていた。
母は、実際の厚子さまを見て「あのような品(ひん)のある人を今まで見たことがない」と感謝・感激気味。
結婚後、岡山県内では2~3年間婦人会による池田牧場参りが盛んだった。
(茂平婦人会が池田厚子さんと記念写真)昭和30年頃か 池田牧場にて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「昭和戦後史・上」古川隆久著 講談社 2006年発行
順宮の結婚
昭和26年7月には、昭和天皇の四女順宮厚子(よりのみやあつこ)が、
旧備前岡山藩主という名家出身の岡山で牧場をいとなむ池田隆政と婚約を発表し、
27年10月10日に結婚した。
婚儀は簡素で、嫁入り道具なども中古品が中心であった。
披露宴こそ池田家の主催で東京会館でおこなわれたが、新婚旅行もなかった。
まだ余裕のない人たちが多い世情に配慮したものであろう。
蒸気機関車に乗って、東京から、東海道本線と山陽本線を下ってくる。
15~16時間だろうか。
前にも後にも(たぶん明治以降すべて)皇女が東京を離れたことはない。
父は、天皇が遠方に捨てたような、というような話をしていた。
母は、実際の厚子さまを見て「あのような品(ひん)のある人を今まで見たことがない」と感謝・感激気味。
結婚後、岡山県内では2~3年間婦人会による池田牧場参りが盛んだった。
(茂平婦人会が池田厚子さんと記念写真)昭和30年頃か 池田牧場にて
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「昭和戦後史・上」古川隆久著 講談社 2006年発行
順宮の結婚
昭和26年7月には、昭和天皇の四女順宮厚子(よりのみやあつこ)が、
旧備前岡山藩主という名家出身の岡山で牧場をいとなむ池田隆政と婚約を発表し、
27年10月10日に結婚した。
婚儀は簡素で、嫁入り道具なども中古品が中心であった。
披露宴こそ池田家の主催で東京会館でおこなわれたが、新婚旅行もなかった。
まだ余裕のない人たちが多い世情に配慮したものであろう。
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