しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

力道山の街頭テレビを見る岡山県人はいなかった

2020年11月08日 | 昭和26年~30年
力道山の街頭テレビを見る岡山県人はいなかった


以前義兄に、福山市では力道山の街頭テレビは、駅前や通町であったのか聞いてみたら
「福山で力道山のテレビを見る人を、見たことはない。東京や大阪のことだろう」と話した。

力道山とシャープ兄弟の試合が熱狂したのは、昭和29年ごろ。
岡山県にも広島県にもテレビ放送は始まっていなかった。




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「岡山市百年史下巻」編集・岡山市 ぎょうせい 平成三年発行


民間放送の誕生


昭和26年に4社が設立された。
岡山では27年ごろから山陽新聞社を中心に放送会社設立の動きが高まった。
昭和28年4月山陽放送設立、山陽新聞社会長が社長となった。10月1日開局。
放送には未経験者が多く、
演奏所、送信所の機械、設備の据え付け、アナウンサー養成など開局準備に追われた。
ラジオ東京などの協力を得てやっと開局にこぎつけた。
アナウンサーはラジオ東京で6人を養成した。
一期生は、
「五十音の発音、発声から手ほどきを受け、連日、朝の9時から夕方の5時まで標準語とアナウンス技術を徹底的に叩きこまれた。
一ヶ月もすると言葉にすっかり自信を失ってしまい、みんな口数が少なくしょぼくれた」。
録音テープの再生機の調子が悪く、放送がめちゃめちゃになったこともあった。



テレビ時代

昭和28年にNHK東京テレビ局が放送を開始した。
昭和32年12月23日にテレビジョン放送(現・総合テレビ開始。
山陽放送が昭和33年6月テレビ放送を始めた。
昭和33年12月NHKと日本テレビにカラーテレビの予備免許がおりた。
NHK岡山は昭和39年、山陽放送は41年からカラー化した。

山陽放送・西日本放送のVHF2局が広域放送圏で相互乗り入れを行っていた。
その後、UHF3社
岡山放送・瀬戸内海放送が昭和44年開局。
テレビせとうちが昭和60年開局した。
他に衛星テレビ(WOWOW)が見れる。

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