山陽新聞 2019年8月20日の記事より転記する。
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故田島道治の「拝謁記」には、昭和天皇が戦前の軍部の暴走を「下剋上」とたびたび批判する記述がある。
一方終戦の決断が遅れたことには「無条件降伏は矢張りいや」だったと漏らしていた。
「一寸こちらが勝ったような時に、其時を見付けたいといふ念もあった」とある。「一撃講話論」を持っていたことが改めて裏付けられた。
関東軍の謀略だった1928年の張作霖爆殺事件を巡る田中義一内閣の対応について「事件のさばき方が不徹底であった事が今日の敗戦に至る抑々の禍根の発端」と胸中を明かしていた。
軍部の専横を「下剋上」と非難し「早く根絶」すべきだったとも主張していた。
軍部の台頭を許した「2.26事件」については「あの時分の軍部の勢は誰でも止められ得なかった」と語っている。
開戦時に東条英機を選んだことには「唯一陸軍を抑え得る人間と思って内閣を作らした」「見込み違いをしたといえばその通り」と反省。
開戦を巡り「平和を念じながら止められなかった」「東条内閣の時は既に病が進んで最早どうすることもできぬといふ事になっていた」と悔いた。
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故田島道治の「拝謁記」には、昭和天皇が戦前の軍部の暴走を「下剋上」とたびたび批判する記述がある。
一方終戦の決断が遅れたことには「無条件降伏は矢張りいや」だったと漏らしていた。
「一寸こちらが勝ったような時に、其時を見付けたいといふ念もあった」とある。「一撃講話論」を持っていたことが改めて裏付けられた。
関東軍の謀略だった1928年の張作霖爆殺事件を巡る田中義一内閣の対応について「事件のさばき方が不徹底であった事が今日の敗戦に至る抑々の禍根の発端」と胸中を明かしていた。
軍部の専横を「下剋上」と非難し「早く根絶」すべきだったとも主張していた。
軍部の台頭を許した「2.26事件」については「あの時分の軍部の勢は誰でも止められ得なかった」と語っている。
開戦時に東条英機を選んだことには「唯一陸軍を抑え得る人間と思って内閣を作らした」「見込み違いをしたといえばその通り」と反省。
開戦を巡り「平和を念じながら止められなかった」「東条内閣の時は既に病が進んで最早どうすることもできぬといふ事になっていた」と悔いた。
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