しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

舞鶴鎮守府(赤煉瓦倉庫群)

2023年08月06日 | 「戦争遺跡」を訪ねる

場所・京都府舞鶴市 「舞鶴赤れんがパーク」
訪問日・2013.8.12

旧大日本帝国海軍「舞鶴鎮守府」跡。
舞鶴鎮守府は1901年開庁、
その後ワシントン軍縮条約で1923年要港へ格下げ、
1939年鎮守府に復活した。
1945年、敗戦により廃止。

戦後は海上自衛隊や公園として使用されている。
赤レンガは保存と見栄えが良く、映画やテレビに登場する。

シベリア拘留者の引揚で有名な舞鶴港は、ここから数キロ離れている。










「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行

国道27号線沿いに赤煉瓦倉庫群がある。
これらは舞鶴鎮守府の軍需品等の保管倉庫として、
1900(明治33)年~1921(大正10)年までに建てられたものである。
1904年には、軍港引き込み線が開通し、倉庫内まで線路を引き込み、物資の運搬にあたった。


舞鶴の赤煉瓦造物は114例あり、
そのうち赤煉瓦倉庫は12棟、
うち10棟は現役で使用され、2棟はれんが博物館、市政記念館で保存活用されている。






「日本の遺跡と遺産⑦戦争遺跡」 岩崎書店 2009年発行

舞鶴市立赤れんが博物館
日本海の警備と防衛を任務とした鎮守府と軍港の施設群
舞鶴鎮守府関連施設

舞鶴鎮守府は、ロシア海軍に対抗するための日本海側の軍事拠点として、
1901年(明治34)に設置されました。
1903年には舞鶴海軍工廠が開設されました。
日本が日露戦争に勝利すると、しだいに重要性が低下していきました。
1923年(大正12)にワシントン海軍軍縮条約により、鎮守府から要港部に格下げされました。
同時に海軍工廠も工作部に格下げとなりました。
昭和にはいり、軍事力増強が活発化するとともに、1936年工作部は工廠に昇格し、
19389年には要港部もふたたび鎮守府に格上げされました。

現在も舞鶴市に残る鎮守府関連の建物と現状は、
①旧舞鶴海軍工廠
②12棟の赤レンガ造りの倉庫群
③旧兵器廠魚形水雷庫
④旧雑品庫ならびに損兵器庫
⑤旧弾丸庫並小銃庫
⑥旧海軍機関学校大講堂

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