場所・岡山県笠岡市北木島町楠
訪問日・2015年9月19日
”青嵐”は大戦末期に開発された水上飛行機。
特攻機になったが、その理由が「死ぬため」というのが、当時の軍人の精神構造を示している。
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「北木を語る」 元気ユニオンin北木 平成8年発行
1944(昭和19)
松原海岸が、帝国海軍「晴嵐特攻隊」訓練基地となる。
隊員は、大門や宅間の航空隊に所属しており、楠地区や大浦地区の旅館や民家を徴用して分宿し、複葉機や特攻機で急降下訓練等をしていた。
豊浦・大浦が、米軍機の機銃掃射を受け、油輸送船員1名死亡しています。
また大浦湾に機雷70個が投下され、民家を直撃したと伝えられています。
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(Wikipedia)
晴嵐
晴嵐(せいらん)は、大日本帝国海軍が第二次世界大戦中に開発した水上攻撃機。
伊四百型潜水艦による戦略爆撃の目的で開発された、小型軽量の急降下爆撃が可能な潜水艦搭載用の水上攻撃機。
試製晴嵐改 (南山)
晴嵐及び南山は合わせて28機が製造された。
計画段階では36機以上生産予定だったが訓練用の機体すら確保できず、空技廠から零式小型水上機2機を借りて六三一空隊員の訓練をおこなった。
搭乗員からは「オモチャみたいな飛行機で訓練するのか」と不満が出た。
1945年1月、有泉司令は魚雷によるパナマ運河攻撃の研究を命じた。
4月25日、士官に対し第一潜水隊全艦・晴嵐10機(雷撃2、爆撃8)によるパナマ運河夜間攻撃計画が公表された。
この段階では通常攻撃だったが、福永飛行長は「飛行機総特攻の時に晴嵐部隊だけ通常攻撃はありえない。全機特攻」と主張し、
投下器から爆弾が落ちないよう工作を命じた。
結局、全機800kg爆弾を装備した上での特別攻撃隊となった。
しかし戦局の悪化によりパナマ運河攻撃は中止となった。
「晴嵐」が特攻に出撃することはなかった。
晴嵐は、エンジン始動状態、翼を折りたたんだまま無人で射出され、洋上廃棄された。
有泉司令は自決した。
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