場所・沖縄県糸満市 「ひめゆりの塔」
訪問日・2012年12月18日
「日本軍事史」 吉川弘文館 2006年発行
1945年4月1日、米軍は沖縄に上陸した。
日本側の軍民あわせて170.000人近くの命を奪った凄惨なものとなり、
6月23日、牛島満司令官が自決して戦闘は終結した。
「ひめゆり平和祈念資料館」
ひめゆり学徒隊の生存者たちの思いは、
生きたい、生きたいと思いながら死んでいった同級生たちの思いを代弁したいといういうことにあった。
語るに語れない悔恨の思い出であり、
祖国防衛に燃えて闘ったという誇りなどなかった。
生存した彼女たちの多くは、戦後教壇に立ち、平和の尊さを子供たちに伝えることに努力してきた。
物言えぬ同級生たちに代わり戦争の悲惨を直接語り伝えようと努力を傾ける姿には何時も敬服せざるを得ない。
しかし、もうその時間もそう長くはないだろう。
「しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房2002年発行
喜屋武岬、「平和の礎」
その折に多くの戦跡巡拝を致しましたが、「ひめゆりの塔」の前に佇み涙があふれました。
海軍の塔には千葉県出身の大田司令長官の最後のお部屋がありましたので心して参拝を致しました。
毎年6月23日の沖縄慰霊の日の慰霊祭のテレビに黙祷を捧げ、様子をブログに保存しております。