しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

機織り

2020年08月29日 | 市町村史
「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町  昭和59年発行


綿

平地で作られた。
春八十八夜ごろに蒔いて、8・9月ごろに収穫した。
綿の実がふいてくると、摘んできて干し、実と綿の繊維を分けて、綿打ちをした。
綿打ちの大きな弓をもって綿打ち廻った。
糸にしなくなってからは布団綿にして自家用に作られた。


繭の糸

養蚕をする家では、年に3~4回は飼い、天井に空気穴をとりつけたり、蚕が繭を作る時期には、家族は寝る場所がない位だったという。
繭はほとんど売った。
上繭・中繭・クズ繭、玉繭(二つくっつく)があった。
自家用にクズ繭・玉繭を手引きした。
この糸がスガ糸といい、木綿のガス糸と混繊することが多かった。


ハタオリ(機織り)

女の仕事で、家族の着物から、布団、蚊帳、手拭にいたるまで全部織り出した。各戸に機があって、冬の農閑期には賑やかな機の音が聞こえていた。
女は明けても暮れても、糸引きと機織りで、機が織れねば嫁にもらい手が無いとまでいわれた。
明治中期ごろから腰かけて織る高機(たかばた)になった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 溜池のイケボシ | トップ | 食事(吉永町史) »

コメントを投稿

市町村史」カテゴリの最新記事