小学生の時、日本の石炭産業は全盛期だったが、
茂平で石炭を見たことは一度もない。ゴヘイダという言葉も知らない。
城見小学校に行けば真冬の時に教員室に達磨ストーブがあり、石炭をくべていた。
ストーブの隣にはバケツに入った石炭があった。
手に取れば汚れるだけなので、木山捷平のように珍重するとか欲しいとか思ったことはない。
茂平の子は踏切をわたらないと学校まで行けないので、
機関車の真っ赤に燃え上がる釜、
スコップで石炭をすくう、釜に投げ込む、飛び散る汗、
を踏切の真下から見ていた。
ゴヘイダの煙を身をもって体験することは何度もあった。
大門~笠岡間には金崎トンネルがあり、真っ黒い煙が顔に、煤となって襲い込んできていた。
・・・・・
茂平で石炭を見たことは一度もない。ゴヘイダという言葉も知らない。
城見小学校に行けば真冬の時に教員室に達磨ストーブがあり、石炭をくべていた。
ストーブの隣にはバケツに入った石炭があった。
手に取れば汚れるだけなので、木山捷平のように珍重するとか欲しいとか思ったことはない。
茂平の子は踏切をわたらないと学校まで行けないので、
機関車の真っ赤に燃え上がる釜、
スコップで石炭をすくう、釜に投げ込む、飛び散る汗、
を踏切の真下から見ていた。
ゴヘイダの煙を身をもって体験することは何度もあった。
大門~笠岡間には金崎トンネルがあり、真っ黒い煙が顔に、煤となって襲い込んできていた。
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五平太(ごへいだ)の煙
「小説を、映画を、鉄道が走る」 川本三郎 集英社 2011年発行
太宰治と親交のあった私小説作家、木山捷平に「斜里の白雪」という北海道旅行記がある。
昭和42年に道東を旅した時の作。
作者は「木井」として登場する。
釧路と網走を結ぶ「釧網(せんもう)本線」の屈斜路湖に近い川湯駅で「木井」は汽車を待つ。
「木井」はホームの花壇の木がどれも黒くなっているのに気づく。
土地の者らしい中年の女性がいう。
「五平太(ごへいだ)の煙だんべ。
汽車が一日に何べんもこの前を通るもの」。
私は何十年ぶりかでこの言葉を思い出した。
子どもの時、私も石炭のことをゴヘイダと呼んでいた。
木山捷平の故郷は現在の岡山県の笠岡。
「ゴヘイダ」は故郷の方言だとばかり思っていた。
司馬遼太郎によれば、
むかし筑前地方で五平太という人物がはじめて石炭を発見したので、石炭のことを五平太というのだ。
「小説を、映画を、鉄道が走る」 川本三郎 集英社 2011年発行
太宰治と親交のあった私小説作家、木山捷平に「斜里の白雪」という北海道旅行記がある。
昭和42年に道東を旅した時の作。
作者は「木井」として登場する。
釧路と網走を結ぶ「釧網(せんもう)本線」の屈斜路湖に近い川湯駅で「木井」は汽車を待つ。
「木井」はホームの花壇の木がどれも黒くなっているのに気づく。
土地の者らしい中年の女性がいう。
「五平太(ごへいだ)の煙だんべ。
汽車が一日に何べんもこの前を通るもの」。
私は何十年ぶりかでこの言葉を思い出した。
子どもの時、私も石炭のことをゴヘイダと呼んでいた。
木山捷平の故郷は現在の岡山県の笠岡。
「ゴヘイダ」は故郷の方言だとばかり思っていた。
司馬遼太郎によれば、
むかし筑前地方で五平太という人物がはじめて石炭を発見したので、石炭のことを五平太というのだ。
(井笠鉄道新山駅)
木山捷平はそのあと、
子供時代の汽車と石炭の楽しい思い出を語っている。
「私が小学生の時、村にはじめて汽車がついた。
私ども小学生は汽車も珍しかったが、それと同程度にゴヘイダがめずらしかった。
線路にはいって拾ってきては珍重した。
カバンの中に入れて学校に持って行き、授業時間中でも見せくらべをした。
黒くてよく光るのが上物だった。
話し合いがまとまれば、鉛筆何本、ラムネ玉何個との交換もできた」
木山捷平はそのあと、
子供時代の汽車と石炭の楽しい思い出を語っている。
「私が小学生の時、村にはじめて汽車がついた。
私ども小学生は汽車も珍しかったが、それと同程度にゴヘイダがめずらしかった。
線路にはいって拾ってきては珍重した。
カバンの中に入れて学校に持って行き、授業時間中でも見せくらべをした。
黒くてよく光るのが上物だった。
話し合いがまとまれば、鉛筆何本、ラムネ玉何個との交換もできた」
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