しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

新制高校の誕生

2018年07月06日 | 昭和21年~25年

「流れる おかやま百年」  昭和42年1月 山陽新聞発行より転記する。

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新制高校の誕生

23年には新制高校、教育委員会制度が生まれ、PTAも各校に設けられた。
総司令部は総合化と男女共学、学区制を指導した。

旧制中学をそのまま新制高校とし、21年までの入学生は付設中学に収容、24年8月から県立51校、市立3校、計54校を県立35校に統合した。
旧岡山一中と二女が統合され、岡山朝日高校となったのもこのときから。

総合化の掛け声で笠岡高校は普通、家庭、工業、商業の4科を持ち、7校が3科を設けた。
しかし、この総合化は生徒同士のコンプレックスの助長、あるいは経営の複雑化などから、しだいに分離され、間もなく笠岡は3校に分かれ、27校につくられた家庭科も11に減っている。

初の県教育委員選挙は23年10月5日行われ、11月5日から委員会が成立した。

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