@mulatake そういえば体操は上がっていきますね。一番難しいのは相撲の番附で、幕下やら関脇やら、どれが一番上なのか分からないですよね(棒読み)
大正3年1月の番附を良く見ると、若者頭が雷ケ浦・浪花崎・若梅の3人しか載っていない。本当に3人だけだったのか、載ってない人もいるのか。 #sumo
@mulatake 関脇は「大関」が先にあって、その脇に位置するからと聞いたことがあります。関取も意味を聞いたことがありますが、決定版はどこに書いてあったやら…。
昔の番附で、何度読んでも戸惑うのが上位行司の席次。十両(たぶん)以下は力士と同じく右から左に読むわけだが、最上段中央の庄之助の次が二段目中央の伊之助(明治時代は逆転やその他の立行司もいる)、次に最上段に戻って庄之助の右→庄之助の左→右の右→左の左…と読みにくいったら。 #sumo
@mulatake 関所を顔バスで通れるから関取とか、強い力士に勝つことを「関を取る」=「関取」=一番強いのが「大関」とか。
@mulatake Wikiがそんな感じの説明ですね。ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2… 「名乗っただけで関所を通ることができる」と。『相撲大事典』でも引いてみたいところですが…。
@mulatake 本当の関所ではなくて、(下位力士にとって)関所みたいな力士ということではないかと。
@OdateUzaemon 雷ケ浦は43年夏に現役兼任で就任、45年夏限り引退と調べたことがあります。shiverle.web.fc2.com/kasira/kasira.… なので、ご指摘の場所は最低でも2名いることになります。年寄もそうですが、二枚鑑札(?)は番附面に現れないので要注意です。
@OdateUzaemon そこで、「載っていない人もいるのか」という疑問が生じたわけです。
@OdateUzaemon 年寄襲名者はわりと履歴が分かりますが、もともと若者頭や世話人は下位力士が就任するものなので、さっぱり情報がないですね。当方の「若者頭一覧表」で()書きは、手許の番附で確認した最初期を示しています。この範囲外の番附情報があればお知らせ頂ければ幸いです。
大正3年1月の番附行司欄(1) #sumo
★最上段中央
木村庄之助
★2段目中央
式守伊之助
★最上段中央以外
木村誠道
木村朝之助
式守与太夫
式守勘太夫
★2段目中央以外
式守錦太夫
木村大藏
木村庄三郎
木村庄五郎
木村左門
木村善明
木村清治郎
木村留吉
大正3年1月の番附行司欄(2) #sumo
★3段目
木村鶴之助
式守竹治郎
式守与之吉
式守啓治郎
木村玉治郎
木村喜太郎
木村藤太郎
木村兼治郎
木村左右治
木村光之助
木村浅二郎
式守菊二
式守政二郎
式守勝巳
木村竹太郎
木村玉吉
大正3年1月の番附行司欄(3) #sumo
★4段目
木村治郎
木村信司
木村旗之進
式守栄三郎
木村安三
木村■二郎
木村今朝三
木村由松
木村貞吉
式守兵助
式守留太郎
式守八男
木村栄二郎
木村房吉
木村善太郎
木村秀太郎
木村■市
木村厳
木村小学
木村志吉
大正3年1月の番附行司欄(4) #sumo
★5段目
木村源之助
木村清
木村三七二
木村安二
式守■之助
式守栄吉
木村直二
式守勇
木村一志
木村鶴二
木村■市
木村長之助
木村峰吉
式守繁太郎
木村千代遠
式守しげ男
式守貞章
木村吉太郎
木村太郎
■は読めなかった文字
大正3年と言えば101年前だが、百年以上前の番附表と気付くと、おいそれと触れない小心者の性よ。 #sumo
今日からMXで再放送が始まった『クッキングパパ』第1話のタイトルが最高にcool pic.twitter.com/Y6beSXMFe0
@leibniz0026 続いて大正5年1月を読んでいますが、簡単そうな文字でも読めないんですよね…。仰る通り、今朝三は初代(のち錦嶋専務)・由松は初代伊三郎→5代鬼一郎→20代伊之助→24代庄之助。