昨夜はどんどん気温が下がり、夜になるとストーブが欲しいような気温です。朝、ハウスの温度計を見ると、最低気温12℃でした。日中は30℃を超えるような暑さですが、夜の気温が半端ないです。熱帯夜でお過ごしの皆さんにはうらやましいお話でしょう。野菜も甘く育ちます。
平和宣言(全文)
1945年8月6日午前8時15分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。
辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭い、心身に負った深い傷は今なお消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。
当時17歳の男性は「真っ黒の焼死体が道路を塞ぎ、異臭が鼻を衝(つ)き、見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした」と語ります。当時18歳の女性は「私は血だらけになり、周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、水を求めて泣き叫ぶ人がいました」と振り返ります。
あれから71年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのものを破壊しかねない1万5000発を超える核兵器が存在します。核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。
私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の「これからの世界人類は、命を尊び平和で幸福な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう」という呼び掛け、そして、血だらけになった女性の「与えられた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください」との訴えを受け止め、更なる行動を起こさなければなりません。そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指し努力を重ねなければなりません。
今年5月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と訴えました。それは、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、今なお存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ世界の人々に示すものでした。そして、あの「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした。
今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」をこの世から消し去る道筋をつけるためにヒロシマの思いを基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。今年、G7の外相が初めて広島に集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実験禁止条約の早期発効や核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める宣言を発表しました。これは、正に「連帯」に向けた一歩です。
為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。そのため、各国の為政者に、改めて被爆地を訪問するよう要請します。その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみを共有した上での決意表明につながるものと確信しています。
被爆者の平均年齢は80歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は少なくなっています。未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。世界の7000を超える都市で構成する平和首長会議は、世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、また、世界規模では広島・長崎が中心となって、若者の交流を促進します。そして、若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動を開始できるようにしていきます。
この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共にリーダーシップを発揮することを期待します。核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、その実現を確実なものとするためには核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。また、日本政府には、平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心からの哀悼の誠を捧(ささ)げ、被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。
平成28年(2016年)8月6日
広島市長 松井一実(かずみ)
東北地方で新たに農業を始める人が増えている
Nezas 2016年3月8日
東北農政局が行った、2014年度の新規就農者(起業や会社に就職する形で就農する人)についての調査で、東北6県で新たに農業を始めた人は1419人となり、2013年度に比べると111人、8%増加しました(東北農政局『東北管内の新規就農者の動向(平成21年〜26年度)』より)。これは、同局が調査を開始した1992年度以降で最多の数字となっています。
東北地方では「青年就農給付金」という、就農前の研修期間(2年以内)及び経営が不安定な就農直後(5年以内)の所得を確保する制度があります。この制度が実施されていない2011年度以前と比べると、年々新規就農者数が増えているのです。年齢別では、44歳以下が1259人と全体の9割近くを占めており、19歳以下も107人となりました。
うして若者は農業を目指すのでしょうか
日経産業新聞(2014年9月12日付)によると、東京農業大学は新入生の4割強を女子が占めているといいます。また、明治大学農学部では女子の志願者が7年前から1500人以上増えたのに対し、男子学生の増加は1000人にも満たない状況です。
こうした人気は、食べ物の安全性への意識が高まったことや、バイオ技術の進展で食料だけでなく環境や生命といった課題の解決も期待されるようになったことが考えられます。生活の基盤を築く学問だとの意識が浸透してきたことが理由ではないかとする識者もいます。
地方自治体の動き
受け入れ側である地方自治体は、各県で農業法人立ち上げの動きを活発化させています。「農家」とは農業を家業としている人々のことをいい、「農業法人」とは稲作のような土地利用型農業をはじめ、施設園芸、畜産など、農業を営む法人の総称のことをいいます。
農業法人は、制度の面から二つの形態に分かれます。一つめは、会社の形態をとる「会社法人」です。営利を目的とする法人で、株式会社などが代表例としてあげられます。二つめは、組合の形態をとる「農事組合法人」です。農業経営等を法人化するため農業独特のものとして設けられたものであり、協同組織的なカラーが強いのです。
農業法人が増えたことで、以前よりはるかに若者が農業に「就職」しやすくなっています。農業に就職することを「就農」といい、農業法人に就職する「雇用就農」と、自身が経営者となる「独立就農」があります。2014年度に農業法人などに雇用就農した人は東北6県の合計で591人と、前年度より96人増えました。内訳は農家出身者ではなく、会社員のような「就職」による就農が全体の42%を占めているのです。これは受け入れ側が法人化することで、福利厚生など労働環境を整備するケースが増えたことも大きく作用しているでしょう。
また、各県とも雇用を増やすために努力をしています。福島県の場合、農業法人が求人を増やしていますし、研修などの助成事業や県の緊急雇用対策を活用しています。また同県は、人口減対策の一つとして新規就農を柱に据えており、農業関連の職業の紹介も無料で行っています。
農業という新しい可能性に賭ける生き方もあり
ITが全盛の世の中に若者が農業を始める理由は、食の安全に対する意識の高まりだけではありません。農林水産省が行った調査によると、都市住民は農村について「自然が多く安らぎが感じられる」「住宅・土地の価格が安い」「空気がきれい」といったイメージを持っていることがわかりました(農林水産省『農村に関する意識調査(2011年)』)。その他内閣府の調査によると、都市住民の3割が農山漁村地域へ定住してみたいと答えています(内閣府『農山漁村に関する世論調査(2014年)』)。特に、20歳代男性の関心が高く新たな生活スタイルを求めて都市と農村を行き来する「田園回帰」の動きや、60歳代以上の男性が定年退職後の定住志向があるようです。
今、都会を思い切って離れて地方で農業を始めることは、大きな決断力を必要とするかもしれません。しかし、自治体などの受け入れ側の態勢も、かつてないほど充実しています。どのようなサポートがあるのかを知ることで、地方の意外な一面が見えてくるのではないでしょうか。