TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

気のせい!?

2024年09月20日 | エッセイ
長年お世話になっている医師のグループカウンセリングに参加した。
7月の個人面接以来、2か月ぶりである。
気がかりなことがなにひとつ解決しないうちに、次の気がかりが発生する。

集まったのは10人ばかり。
それぞれ抱える問題や課題を順繰りに話す。
それらに対して先生がコメントをする。参加者は原則、言いっぱなし聞きっぱなしである。
つきあいが長いと自然、顔見知りができる。
そのために、顔ぶれによっては、話しづらいなあと感じることもある。
どういうわけかそう思っている相手とは偶然隣同士の席になることも多い。

今回のわたしのテーマは腰痛。
整形外科の集まりではないが、夏樹静子さんの『椅子がこわい』という本ひとつとってみても、腰の痛みは、心理的なこととは無縁ではないという説も多い。
自分でもおおいに心当たりがある。
「自転車や電車に乗っているときや、丸まって本を読んでいるとき、自分の家の椅子に座っているときは、痛くないんです」とわたし。
すると先生曰く「それはいいじゃないですか」と肯定的な場面を拾ってくれる。
続けて、「ネット上で、これが効く、あのストレッチが良いという情報はたくさんあるけど、皆さん、あくまでも、自分にとって良かったからアップしてるだけです。じっくり話を聞いてくれる治療者を探しあてると、その人の顔を見ただけで治ったりすることもあるんですよ。長く生きていれば、腰椎のひとつやふたつ、ずれていてあたりまえです」。
なるほど。
確かに、レントゲン所見はあるのは事実だが、腰椎がずれているすべての人が痛い症状に悩んでいるわけではない。
そういえば、かかりつけの整形外科医も、「ストレッチがいいというのは、気のせいですよ」と言っていた。
MRIもとってくれないのを不審に思っていたが、ずれ具合が大きくないからかもしれない。
そして痛みが出る場面の話になる。
「実家」とわたしが答えると、すかさず「お母さんの話を聞いていると痛くなるんだろ」と先生。
「そうそう、そうなんです」とわたしが答えると、周囲から笑いが起きる。
「尽きることのない話を聞いていると、(腰が)じくじくしてきます」。
別居している負い目もどこかにあり、実家に帰ったときには、今生の別れとばかりに、がっぷり四つに組んで、彼女の言葉をひとことも聞き漏らすまいと緊張して座っていたことを思い出した。

グループカウンセリングは約2時間半。
その間、硬い椅子に座っていたので、多少腰とお尻が痛んできた。
「これはやばいかも――」。
が、終わって外に出て歩き出すと、腰がウソのように軽くなっており、チクリともしない。
「え、うそ」と思わず声に出してしまう。
これって心理効果???
久しぶりにどこも痛くない腰と足の感覚を味わってスキップしたい気分になった。
が、一方では、これっていつまで続くのかな、と半信半疑。

電車で家の最寄り駅に着くと、まさかの土砂降りである。
雷鳴と稲光がすさまじい。
濡れるだけならいいが、こんな中、自転車に乗っていては雷に打たれそうだ。
小降りになるまで時間をつぶそうと、併設のスーパーで買い物をする。
豆腐2丁と大振りなリンゴ1個、野菜ジュース2本。
さらに実家に電話。
その間、段々と腰がじくじくとしてきた。
気を良くして油断したか。
元の木阿弥である。

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