TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

本日は宅食なり

2024年11月15日 | エッセイ
11月の「介護者のつどい」は、趣向を変えて、宅食弁当の試食だった。
そのまま召し上がるのではなく、ひと手間加えると、飽きも来ず、栄養のバランスがさらにアップしますよ、というデモンストレーションもある。
無料試食会だの、おみやげ付きだのというと、とかく参加者が増えるもの。
今回も御多分にもれず、初めてお見かけするかたたちもちらほら……。
食事つきデイサービスの管理栄養士さんが講師として招かれて、栄養のバランスと運動の大切さをレクチャーする。
その途中で、お弁当を届けに来た配達員が部屋をのぞいて声をかける。
すると、レクチャーはもういいから、早く食べたいな~という雰囲気がみなぎる。(わたしがそう思っただけかもしれないけど)。

レクチャーのあとは、調理室に移動して、”ひと手間”の実践である。
そのまま食べるのでは能がないというわけだ。
袋にはいった千切キャベツや管理栄養士さん手作りのふりかけ、デザートにはプレーンヨーグルトにバナナの輪切りを入れたものを追加する。
ファシリテーターの男性スタッフが、「めったに僕は料理なんてしないから。実はここのレンジの使い方も知らなくて……」などと料理初心者であることを明るくアピールしながら、悪戦苦闘。
ほうれんそうとコーン、ベーコン入りの冷凍食品に塩コショウしてチンしてくれる。
弁当の容器そのままでは味気ないからと、調理室備え付けの食器に、おかずやご飯を移し替える。

60歳過ぎとはいえ、参加者の中では若いわたしが、ただぼおっとしているのもなんだか落ち着かず、食器棚から勝手に皿を出して配ったり、盛り分けたり、取り箸を突っ込んだりと、手出し口出しをしてしまう。
いつもは気が利かないのに、環境によってはてきぱきすることもあるのである。

各自、思い思いの盛り付けができあがると、先ほどの部屋に持ち帰って「いただきます」。
しゃべるよりもまずは、「食べる」。
皆さん黙々と食べることに専念する。
そこが若い年齢層とは違うところ。
食べながらしゃべるのが苦手なわたしとしては助かる。
皆さん、ひととおり食べ終わったところで、本日の感想やら雑談やらにはいる。
12時。「ちょうど時間となりました」で、雑談が苦手なわたしは救われる。
食卓の上には、空っぽになった大量の食器が散らばっている。
弁当箱から移し替えたばっかりに無駄に洗い物を増やしてしまった様で申し訳ない。
「そのままでいいですよ」と言われたが、後片付けぐらいしなさい!と心の中に住む母親が叫ぶ。
そうかといって、スタッフがいるのに手を出したりしたら、かえって迷惑のようでもある。
申し訳程度に自分の食器を洗い場まで持っていって、中途半端な気分で外に出た。

肝心の本日のお弁当のお味は、冷めてもおいしく、うす味でもしっかり食べた感があった。
それは皆さんといっしょに食べたからなのか。
これを毎日、自宅で、ひとりもそもそと食べ続けたらどうだろうか、そこはわからない。


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