TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

年賀欠礼に思うこと

2024年11月20日 | エッセイ
年賀状の季節がやってきた。
郵便料金があがったせいで、年賀状終いをする人が増えたらしい。
終わないまでも、こちらからは出さないでおいて、先方から来たら出すという“様子見”の人も増えるだろうとのこと。
年賀状終い用のスタンプまで売り出された。
わたしも数年前に、メールのやりとりをしている人限定で、年賀状終いをしたが、その文面には多いに迷った。
スタンプがあったら買わないまでも、その文面を真似っこして多少アレンジして使ったかもしれない。

とりあえず、自分の年賀状問題はこれですっきりした。
結果、今年出すのは5枚きりである。
これに入れ替わって発生したのが、親の年賀状問題である。
父は住所録を作り、昔の会社関係、親戚、友人知人と律儀に毎年出している。
ここ2,3年、視野が急激に狭くなり、届いた郵便物の文字があまり見えなくなっても、年賀状を終うつもりはないようだ。
年齢的にも、それこそ年賀状終いの挨拶状が舞い込むことも多くなった。
ご本人が亡くなったという訃報も時に舞い込む。
そこで、今までの住所録を大幅に書き換える必要が出てきた。
本人お気に入りのワープロ操作も覚束なくなったので、わたしが昨年の年賀状の束を元に、住所録の書き換え作業を仰せつかった。
「前は100人もいたのにな」と父は言うが、現在の30人だってわたしにとってはたいした量に思える。
年賀状の数というのは、たとえ儀礼的であっても、なにか社会的なステータスのようなものなのだろうか。

ともかく、こうした「宿題」は、手早く済ませたい。
朝も早くから起き出してハガキを傍らに、「やれやれできた」とひと息ついていると、父から電話があり、「〇〇さんが亡くなったらしいから、住所録から削除してくれ」と言ってきた。
〇〇さんとは、神戸に住む、父の兄の奥様である。
慢性の病で長らく寝ていらしたとは聞いていたが、詳しいことはわからなかった。
このたびの年賀欠礼は、姪っ子から届いたのだそうだ。
それによると、今年の8月に亡くなっていたのだとか。
住所録から彼女の名前を削除する作業そのものは一瞬だが、気持ちの上ではなにかひきずるような、おさまりがつかないようなものがあった。
子供の頃、〇〇さんとは神戸の祖母の家でよく顔を合わせていた。
年が近い従妹同士が祖母の家に集まり、今回ハガキをくれた従妹とも遊んだ記憶がある。
こちらが高齢で遠方に住んでいるということもあり、気を使わせまいと遠慮したのかもしれないが、年賀欠礼の時期まで待たずに知らせてくれてもよかったのではないかなあ、というさびしさがあった。
しかし考えてみれば、中心になる祖母の存在があればこそ、よく顔を合わせていたのであって、彼女亡きあと、親戚一同とは疎遠であった。
みなそれぞれにそれぞれの場所で暮らし、連絡をとりあうということもなかった。
よそよそし過ぎるのではないかと思ってみても、いつのまにか、時の流れがそうした関係性を作り上げてきたのである。
仲たがいというのではなくても、しかたのない成り行きなのかもしれない。

父母ともに兄弟姉妹の数が多い。
それがここ数年来、ひとり欠け、ふたり欠けして実にさびしいことになった。
寿命という神様の乗った玉がゴロゴロと確実にこちらに向かってくるような、そしてそれを止めることなどできないのだという無力感もまた今回の訃報で新たにしたのである。


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