日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

宇宙の誕生

2015年01月01日 09時22分56秒 | 日々雑感
 ジュネーブ郊外に建設されたCERN(欧州原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)での目的のひとつはヒッグス粒子の発見にあった。2008年の稼動より5年後CERNはついにヒッグス粒子の存在がデータ解析より確実と発表した。その解析手法等は全く理解できないが、大発見のようだ。1960年代以降、現代物理学の標準理論では、世の中は17の素粒子から成り立っていると予言されている。これまでに、クォークやレプトンなど16については実験で確認されてきたが、最後の1つ、ヒッグス粒子だけが見つかっていなかった。ヒッグス粒子が担っている最も大きな役割は、宇宙のすべての物質に「質量」、つまり「重さ」を与えることだ。もしこのヒッグス粒子の存在が確認されれば、従来困難な問題だとも考えられてきた質量の説明に関して、合理的な説明を与えることができる、と考えられる。宇宙誕生の謎に一歩近づけるかも知れない。それが分かったところで、実生活には何ら影響されないが、知的好奇心はくすぐられる。
 今から 約137 億年ほど前、私たちの宇宙は大爆発とともに生まれたと考えるのがほぼ常識的になっている。その誕生直後に宇宙は、ヒッグス粒子の場で満たされてしまい、その中で我々の地球や銀河系が形成されたそうだ。これまで真空とは何も無い状態と思われていたが、ヒッグス粒子で満たされているとのことだ。
 その昔、宇宙はエーテルで満たされているとの説があった。エーテルは19世紀までの物理学で、光が伝播するために必要だと思われた媒質であり、現在では誤りとされる。しかし、宇宙は、エーテルではなく、ヒッグス粒子で満たされているとは、それならば何も無い状態とは一体どのような状態であろうか。こんなことを考え出すと気が遠くなってくる。そもそもビッグバンは何も無い状態から生じたのか、何か元に種があったのか、はたまた神様の気まぐれからか分からないが、謎は果てしなく続く。
 “劫”とは、仏教などインド哲学の用語で、極めて長い宇宙論的な時間の単位だそうだ。ヒンズー経では、1劫 = 43億2000万年を指すのだそうだが、それがどのくらい長い時間かと言えば、ある所に大きな岩山があり、そこに天女が何年かに一度舞い降り、その際羽衣を一振りすると岩山と言えどもわずかに磨り減る。このようにして岩山が消滅までの長い時間を指すとの例え話があるのだそうだ。気が遠くなりそうだ。
 時間と言えば、自分の一生か、ご先祖様の生きていた頃までを思いはせる位であったであろう時代に、このような長い時間まで思い巡らすとは、驚き桃の木である。人間がこのようなことを考えたのは宗教的な背景があるのだろう。すなわち神様が人間に果てしない時間の存在を気づかせたと言うことになるが、そうだとすればこの世は神様がお創りになったと思いたくなる。 人間は神様のお考えを知りたくて、色々思索し、現在の科学文明が進歩してきたとの指摘がある。例えこの世は神様がお創りになったとしても、神様はなぜお創りになったのか、はたまた神様は一体何者かを知りたいとの意欲は決して衰えることはない。(犬賀 大好-89)