1月5日、アメリカの調査会社「ユーラシア・グループ」がことしの国際情勢の「10大リスク」を発表した。最大のリスクはヨーロッパの政治とのことだ。その理由としてヨーロッパ各国で反EU勢力が台頭していることに加え、経済政策でも各国間の意見が食い違い、さらにロシアや過激派組織「イスラム国」などの外的な不安要素が高まっていることを挙げている。
EUは、第2次世界大戦の荒廃から、欧州が一致団結して復興をなそうと、試行錯誤の結果、1993年11月1日のマーストリヒト条約発効によって誕生した。その目的は、・国境のない地域の創設、及び経済通貨統合の設立を通じて経済的、社会的発展を促進することであり、・共通の外交・安全保障政策の実施を通じて国際舞台での主体性を確保すること等である。つまり、国の垣根を取り払い、団結していこうとの考えである。
第1次世界大戦、第2次世界大戦が各国の利害の衝突から生じたことを考えると、EUはヨーロッパの安定にこれまで大きく貢献していることは間違いないであろう。しかし、ここに来て、当初の理想を忘れ、各国の我がままが出始めた感である。
昨年のギリシャにおける財政危機の際も、ギリシャのEU離脱は避けられないとのエコノミストの論調があった。ギリシャはEUを離脱することにより、自国の経済政策に関し外国から文句を言われず、自尊心は保たれるであろうが、財政の建て直しは自国だけで行わなくてならなくなる。ギリシャは財政規律の強化等を行わなくては、国の負債は増える一方で深刻なインフレに直面するようであり、EUを離脱してもしなくても前途多難である。一方支援する側、特にドイツでは、何で自分らの税金をギリシャの怠け者に使うのかの不満があると言う。EUの分裂の根底には文化の違いや経済格差の大きさがあろう。自尊心や余分な出費は、戦争の無駄の大きさに比べれば僅かと思うが、戦争の悲惨さはどんどん薄れ、現実の生活の不満がどんどん増していくのであろう。EU離脱が相次ぐと、各国の利害が衝突し、正にヨーロッパの危機となる。
つい最近、フランスで「イスラム国」シンパによる、テロがあった。これに抗議し、大規模な集会がなされ、百万人以上の人が集まったとの報道があった。無差別殺人に対する抗議はもちろんのこと、表現の自由に対する抗議でもあったようだ。無差別殺人に対する抗議は当然と理解できるが、イスラム教を冒涜するのも表現の自由と主張するのは、理解に苦しむ。相手を傷つけてもよしとする表現の自由は行き過ぎである。
最近の日本におけるヘイトスピーチやSNSにおける個人的いじめは、制限されるべきであるが、法制化はマスコミが猛反対している。ヘイトスピーチを良しと考えている訳ではないだろうが、法制化すれば、いずれ自分たちの首を締めることになるとの理屈で反対しているのであろう。何が許され、何が許されないかをマスコミはもっと知恵を出して議論すべきだ。
EU域内でも、表現の自由に関しては同様な論争があるとのことである。日本とヨーロッパでは、文化の違い等により表現の自由に関しては差があるだろう。この際、イスラム教の国をも交え、大いに議論すべきである。完全にまとまらなくても、お互いに譲れない線を明確にするだけでも価値がある。(犬賀 大好-94)
EUは、第2次世界大戦の荒廃から、欧州が一致団結して復興をなそうと、試行錯誤の結果、1993年11月1日のマーストリヒト条約発効によって誕生した。その目的は、・国境のない地域の創設、及び経済通貨統合の設立を通じて経済的、社会的発展を促進することであり、・共通の外交・安全保障政策の実施を通じて国際舞台での主体性を確保すること等である。つまり、国の垣根を取り払い、団結していこうとの考えである。
第1次世界大戦、第2次世界大戦が各国の利害の衝突から生じたことを考えると、EUはヨーロッパの安定にこれまで大きく貢献していることは間違いないであろう。しかし、ここに来て、当初の理想を忘れ、各国の我がままが出始めた感である。
昨年のギリシャにおける財政危機の際も、ギリシャのEU離脱は避けられないとのエコノミストの論調があった。ギリシャはEUを離脱することにより、自国の経済政策に関し外国から文句を言われず、自尊心は保たれるであろうが、財政の建て直しは自国だけで行わなくてならなくなる。ギリシャは財政規律の強化等を行わなくては、国の負債は増える一方で深刻なインフレに直面するようであり、EUを離脱してもしなくても前途多難である。一方支援する側、特にドイツでは、何で自分らの税金をギリシャの怠け者に使うのかの不満があると言う。EUの分裂の根底には文化の違いや経済格差の大きさがあろう。自尊心や余分な出費は、戦争の無駄の大きさに比べれば僅かと思うが、戦争の悲惨さはどんどん薄れ、現実の生活の不満がどんどん増していくのであろう。EU離脱が相次ぐと、各国の利害が衝突し、正にヨーロッパの危機となる。
つい最近、フランスで「イスラム国」シンパによる、テロがあった。これに抗議し、大規模な集会がなされ、百万人以上の人が集まったとの報道があった。無差別殺人に対する抗議はもちろんのこと、表現の自由に対する抗議でもあったようだ。無差別殺人に対する抗議は当然と理解できるが、イスラム教を冒涜するのも表現の自由と主張するのは、理解に苦しむ。相手を傷つけてもよしとする表現の自由は行き過ぎである。
最近の日本におけるヘイトスピーチやSNSにおける個人的いじめは、制限されるべきであるが、法制化はマスコミが猛反対している。ヘイトスピーチを良しと考えている訳ではないだろうが、法制化すれば、いずれ自分たちの首を締めることになるとの理屈で反対しているのであろう。何が許され、何が許されないかをマスコミはもっと知恵を出して議論すべきだ。
EU域内でも、表現の自由に関しては同様な論争があるとのことである。日本とヨーロッパでは、文化の違い等により表現の自由に関しては差があるだろう。この際、イスラム教の国をも交え、大いに議論すべきである。完全にまとまらなくても、お互いに譲れない線を明確にするだけでも価値がある。(犬賀 大好-94)