日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

積極的平和主義と民主主義

2015年05月09日 09時40分10秒 | 日々雑感
 米国は、民主主義が絶対的な善として、リビア、シリア、イラク、等に軍事的に介入した。しかし、リビアにおいては、カダフィ政権が倒され、その後ジャスミン革命が起こり、民主主義が定着するかと思われたが、国としてまとまらず内戦状態に陥ってしまった。
 リビアに限らずイスラム国家においては、宗派や部族の結束が強く、国家としてなかなか統制が取れないようだ。イスラム教の世界では、すべての教徒が同じ権利を有するという前提の下に成立しているそうで、多数決による議会制民主主義方式はかれらには理解できないとのことだ。現に現在の中東世界において、中東世界全体の政策を決定する機関であるアラブ連盟が主催する首脳会議においても、多数決で決定された決議が実行されえたという話はあまり聞かない。このような社会に西欧的な民主主義を導入しようとしても、受け入れられないのであろう。
 現在、イスラム教はスンニ派とシーア派の2大宗派が対立を続けている。スンニ派が重視しているのは、ムハンマドが遺した「慣行(スンニ)」や「教え」であり、シーア派が重視しているのは、ムハンマドの「血統」、つまり「誰が統治者か」ということだ。宗教を余り信じない者からすれば、両立できそうな話に思えるが、自然環境の厳しい中で生きるためには、厳しい戒律も必要になるのであろう。また、多数決による決定を認めないのも、少数の人間でも厳しい自然の中で生きる権利を保障するための生活の知恵のような気がする。豊かな自然の中で暮らす人間には、理解できないところがあるに違いない。
 リビアからヨーロッパに避難した難民の中には、カダフィ大佐の独裁体制の方が良かったとの声もあると言う。自由の無い独裁体制より、意見が反映される民主主義の方が良いに決まっている。現在のような混沌状態は来るべき民主国家の一過程であるならば、何とか我慢できるであろうが、昔の独裁体制に戻りそうな気がする。現にエジプトはジャスミン革命後の混乱を再度の軍事独裁体制で小康を保っている。
 安倍政権は、米国と協力し、積極的平和主義を目指すと言う。平和とは何か、善意の押し売りは迷惑である。しかし、核の廃絶や避難民、難民の受け入れであれば、絶対的平和主義として万人に受け入れられるであろう。こちらの方に積極的に動いてもらいたいものである。(犬賀 大好-127)