日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

憲法改正を考える

2015年05月23日 09時19分46秒 | 日々雑感
 集団自衛権に伴う憲法解釈の変更、更に憲法改正・改悪を巡って、賛成反対の立場からいろいろ議論されている。改憲賛成派の主要な意見は、①現憲法は占領軍が勝手に作ったものであり、日本人の意見は反映されていない、②中国の台頭等の世界情勢の変化があり、現憲法は時代に即していない、である。これに対し、護憲派は、①この70年間、平和を保ち、経済的な発展を可能ならしめたのは、戦争を放棄したこの平和憲法のお蔭である、の主張である。
 確かに、日本国憲法は占領軍が書いて、受け入れを強要したかも知れないが、その内容の多くは、理想を高く掲げ、通常とても書けない立派なものだ。また、この70年間、米国を始めとする所謂先進国の圧力を撥ね退け、海外で軍事力を行使しなかったのは、現憲法のお蔭であろう。イラクにおける自衛隊の派遣では、“Show the flag” なぞと先進国からは悪口を言われたが、現地の人間には、すこぶる評判が良かったとのことである。
 改憲論者の主張する中国の台頭に対抗するため、自衛隊の軍隊化を明記するとなると、中国との軍拡競争に陥る懸念がある。軍拡競争に突き進めば、中国は既に核兵器を保有するため、対抗上日本も持たざるを得ないであろう。核兵器の保有のためには国際的にも高いハードルがあり、それでもとなると北朝鮮と同様に国際的な孤立を覚悟せねばならない。
 緊急事態条項はさておき、環境権や財政規律条項は憲法として盛り込むべきであろう。この意味では憲法改正に賛成である。環境に関しては地球温暖化で、また財政規律に関しては国の膨大な借金で、子孫に負の遺産を残そうとしているにも関わらず、現世を謳歌していることを強く反省しなくてはならない。
 しかし、安倍政権の憲法改正・改悪は最終的には第9条の破棄にあるらしい。それであるならば、環境権や財政規律条項は憲法とは別に法律で定めればよい。
 日本は戦争を放棄した崇高な憲法を有する。それを廃棄したら二度と書くことは出来ない。押し付け憲法であっても大切にすべきである。孤高の国を自負し、平和日本として独自の道を切り開くべきである。オバマ大統領の核廃絶宣言の後具体的な動きは無く、また核不拡散条約(NPT)も一向に進まない。この時こそ日本の出番である。安倍政権は、戦争を放棄した第9条を前面に出し、唯一の被爆国として、世界に戦争放棄、核廃絶を訴えるべきである。これこそが後世に名を残す功績である。ノーベル平和賞を受ける絶好のチャンスでもある。(犬賀 大好-131)