政府の地震調査委員会は、2月9日、静岡県から九州沖合にかけての南海トラフ沿いでM8~9の巨大地震が30年以内に起こる確率が70~80%に高まったと発表した。南海トラフ地震の発生確率は毎年約1%ずつ上昇するそうだ。昨年は70%程度であったが、今年1月1日時点で、75.3%に高まったとのことだ。
また、北海道・根室沖でM7.8~M8.5の地震が30年以内に発生する確率も昨年時点の70%程度から80%程度に上昇したそうだ。昨年12月19日に、政府の地震調査委員会は十勝沖から択捉島沖までを震源域とするM8.8程度以上の地震が起きる確率は今後30年以内に7%から40%と発表していた。前回の発表と今回の発表の整合性はよく分からないが、巨大地震の発生の危険性は年々増大しているのは間違いないだろう。
地震の発生確率は、これまでにその地で発生した地震の周期および一番最近に起こった年を基に算出されるとのことであるので、年ごとに増えていく確率に従って、年々緊張感も高めていく必要がある訳だ。しかし発生確率が年々高まっても、災害の緊迫性は年ごとに薄れていくのが人の世の常だ。2011年の東日本大震災から早くも7年が経ち、人々の頭から次第に忘れ去られようとしている。”天災は忘れた頃にやって来る”、と分かっていても、忘れるのが人間である。
忘れないようにするために、毎年3月になると行政は危機感を煽っているが、煽れば煽る程、その後の忘れ度合いも大きくなる。忘れ防止のための最も効果的な方法は、地震がいつ発生するかを的確に示すことであるが、現代の科学文明であっても自然の気ままさを推し量ることは出来ない。
昨年9月、国は予知を前提とした東海地震の情報の発表を取りやめ、新たに南海トラフ全域を対象に巨大地震発生の可能性を評価する新たな情報を出すことを決めた。これにより40年近くにわたって、予知を柱の一つに進められてきた国の防災対策が、大きく転換されることになった。
地震の予知とは、いつごろ(数日程度)、どこで、どのくらい大きな地震が起きるかを前もって知ることである。数日前に地震が来ることが分かれば、それなりの覚悟が出来、人的な被害を減らす上で絶大な効果を発揮することは明らかだ。
しかし、数年前静岡県御前崎付近の地盤が最大で2.8メートル一気に盛り上がっていたことで大騒ぎになったが、結果空振りに終わった。現在の技術レベルで地震の発生を正確に知ることは不可能だとの見解を示さざるを得なくなったのだ。そこで、予知との言葉を取りやめ、可能性評価情報に変更した訳だ。
一方、1995年の阪神・淡路大震災において、住宅の倒壊によって多くの犠牲者が出たことで、突発的に地震が起きることを前提として、耐震化など被害を軽減するための事前の対策がより重要であると認識されるようになった。
耐震化と一口に言っても、個人の家から上下水道、電気、ガス等のインフラまで幅広い。兎も角金がかかることこの上ない。国や地方自治体の台所事情が苦しい現在、いつ来るか分からない災害対策を最優先に予算を組むことは出来ない。
バブル期に設けられた道路や橋の劣化が激しく、災害対策以前の問題でもあるが、2018年度の予算案には、子育てや医療・介護事業への重点配分の文字は見えても、インフラ整備強化の文字は見えない。万が一、大地震が発生し、インフラが崩壊し、人々に甚大な被害が生じても、想定外の出来事として片づけられることであろう。
忘れることは人間が生きていく上で重要な特質であり、災害に対する恐怖心も時間と共に薄れていく。逆にいつまでも恐怖を引きずっていたならば、生きていけない。災害は忘れた頃にやって来るは、本質を突く言葉だ。2018.02.28(犬賀 大好ー420)
また、北海道・根室沖でM7.8~M8.5の地震が30年以内に発生する確率も昨年時点の70%程度から80%程度に上昇したそうだ。昨年12月19日に、政府の地震調査委員会は十勝沖から択捉島沖までを震源域とするM8.8程度以上の地震が起きる確率は今後30年以内に7%から40%と発表していた。前回の発表と今回の発表の整合性はよく分からないが、巨大地震の発生の危険性は年々増大しているのは間違いないだろう。
地震の発生確率は、これまでにその地で発生した地震の周期および一番最近に起こった年を基に算出されるとのことであるので、年ごとに増えていく確率に従って、年々緊張感も高めていく必要がある訳だ。しかし発生確率が年々高まっても、災害の緊迫性は年ごとに薄れていくのが人の世の常だ。2011年の東日本大震災から早くも7年が経ち、人々の頭から次第に忘れ去られようとしている。”天災は忘れた頃にやって来る”、と分かっていても、忘れるのが人間である。
忘れないようにするために、毎年3月になると行政は危機感を煽っているが、煽れば煽る程、その後の忘れ度合いも大きくなる。忘れ防止のための最も効果的な方法は、地震がいつ発生するかを的確に示すことであるが、現代の科学文明であっても自然の気ままさを推し量ることは出来ない。
昨年9月、国は予知を前提とした東海地震の情報の発表を取りやめ、新たに南海トラフ全域を対象に巨大地震発生の可能性を評価する新たな情報を出すことを決めた。これにより40年近くにわたって、予知を柱の一つに進められてきた国の防災対策が、大きく転換されることになった。
地震の予知とは、いつごろ(数日程度)、どこで、どのくらい大きな地震が起きるかを前もって知ることである。数日前に地震が来ることが分かれば、それなりの覚悟が出来、人的な被害を減らす上で絶大な効果を発揮することは明らかだ。
しかし、数年前静岡県御前崎付近の地盤が最大で2.8メートル一気に盛り上がっていたことで大騒ぎになったが、結果空振りに終わった。現在の技術レベルで地震の発生を正確に知ることは不可能だとの見解を示さざるを得なくなったのだ。そこで、予知との言葉を取りやめ、可能性評価情報に変更した訳だ。
一方、1995年の阪神・淡路大震災において、住宅の倒壊によって多くの犠牲者が出たことで、突発的に地震が起きることを前提として、耐震化など被害を軽減するための事前の対策がより重要であると認識されるようになった。
耐震化と一口に言っても、個人の家から上下水道、電気、ガス等のインフラまで幅広い。兎も角金がかかることこの上ない。国や地方自治体の台所事情が苦しい現在、いつ来るか分からない災害対策を最優先に予算を組むことは出来ない。
バブル期に設けられた道路や橋の劣化が激しく、災害対策以前の問題でもあるが、2018年度の予算案には、子育てや医療・介護事業への重点配分の文字は見えても、インフラ整備強化の文字は見えない。万が一、大地震が発生し、インフラが崩壊し、人々に甚大な被害が生じても、想定外の出来事として片づけられることであろう。
忘れることは人間が生きていく上で重要な特質であり、災害に対する恐怖心も時間と共に薄れていく。逆にいつまでも恐怖を引きずっていたならば、生きていけない。災害は忘れた頃にやって来るは、本質を突く言葉だ。2018.02.28(犬賀 大好ー420)