先日の都知事選において、秋葉原駅前での安倍首相の演説中、「辞めろ」「帰れ」コールは鳴り止まなかったようだ。これに対し、首相が「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」、「こういう人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げる一幕もあったそうだ。
帰れコールは組織的な活動であったとの報道もあるが、切っ掛けはそうであったかもしれないが、一般市民も巻き込み広がったようである。民主主義においては、ある意見に対して賛成もあれば反対もあるのが常識であり、反対意見に対して説得するのではなく、敵と決めつけ敵には負けるわけにはいかないと声を張り上げるのは民主主義の原則から逸脱している。
安倍首相は直ぐに感情的になる欠点があると自己分析しているが、国会における野党の質問にやじを飛ばし発言を妨害ことは首相の得意とするところであり、ここにおいても自分の欠点を忘れ他人を攻撃するとは情けない。しかし、帰れコールと叫ぶ人々に向かって”共謀罪の適用だ”と言わなっかただけでもまだ感情を抑える冷静さが残っていたのであろう。
また、稲田朋美防衛相は6月27日、東京都板橋区で行った都議選の自民党公認候補の応援演説で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をしたとのことだ。防衛相が自身の地位に言及して所属政党の公認候補への支持を呼びかけるのは、自衛隊の政治利用であり憲法違反である。
このように首相を始め政府高官の失言が目立つが、自民党二階幹事長は「言葉一つ間違えたら、すぐにいろんな話になる。どういうつもりで書いているか知らないが、お金払って(新聞などを)買ってもらっていることを忘れては駄目だ」と述べ、言葉尻を捉えたり、上げ足をすぐに取るマスコミの態度を批判した。
マスコミの役目は真実の報道であろう。そのため少ない材料から真実を突き止めるために、言葉尻を捉えたり、上げ足を取ることも理解できる。政治家はそうならないように、常日頃から丁寧な説明を心がけなくてはならないだろう。幹事長は首相に対して、丁寧な説明とは単に丁寧な言葉を使うことでは無いと、丁寧に説明しておいて欲しいものだ。
一方、5日付で国税庁長官に就いた佐川宣寿前財務省理財局長は、森友問題をめぐる国会答弁で野党側の追及をノラリクラリはぐらかし、余計な発言は一切せず、言葉尻を取られられることなく、追及を乗り切った。何かの質問に対し、記憶にありません、と自信たっぷりに言い切るのには違和感を感ずるが、これではマスコミもお手上げ状態であろう。佐川氏は政治家にとって官僚の鏡であろうが、国の財産を格安で払い下げ、国に損害を与えた罪の一翼を担ったのは国賊ものである。
原子力規制委員会の田中委員長が7月6日、福井県高浜町を訪れた。地元住民らと意見交換の中で、原子炉にミサイルが撃ち込まれた場合の安全性が話題になったようだ。北朝鮮のミサイル発射実験が頻発に行われている折から住民が心配するのは当然である。
田中委員長は原発は航空機の衝突に耐えられる安全対策がなされていると説明しつつ、北朝鮮のミサイルの脅威について、原発を狙うより東京のど真ん中に落とした方がいいんじゃないかと述べたそうだ。会の終了後マスコミの追及にあい、不適切であったと陳謝したようだ。
何故に陳謝したのか分からないが、マスコミの執拗な追及に面倒くさくなったのであろう。マスコミは大勢で言葉尻を取らえて追及するのは得意である。恐らく東京に落とされるとの予想が不謹慎との指摘であろうが、北朝鮮からすれば、ミサイルの命中精度が上がったとは言え、小さな原子炉を狙うより、広い東京に落とした方が、日本に損害を与える確立が高いと判断するのは当然だ。
問題は、安全対策がなされていると言っても、衝突する航空機の大きさや、原子炉の何処に当たるかによって変わってくるであろうが、明確にされていたのであろうか。更に問題であるのは将来の高浜町の在り方である。未来永劫原子炉に頼って生活できるわけではない。マスコミは本質の議論より、話題つくりに夢中である。この件に関しては報道陣の取り組みが問題視されるべきである。
余談であるが、帰れコールの人々の顔写真は既に記録されどこかに登録されていることであろう。一般の人々は共謀罪の対象にはならないと首相は明言しているが、一般人であるかないかを調べることは当然必要となるからだ。最近のカメラ技術と画像処理技術の進歩は著しく、膨大な顔写真は当世流行のビッグデータだ。2017.07.15(犬賀 大好-355)
帰れコールは組織的な活動であったとの報道もあるが、切っ掛けはそうであったかもしれないが、一般市民も巻き込み広がったようである。民主主義においては、ある意見に対して賛成もあれば反対もあるのが常識であり、反対意見に対して説得するのではなく、敵と決めつけ敵には負けるわけにはいかないと声を張り上げるのは民主主義の原則から逸脱している。
安倍首相は直ぐに感情的になる欠点があると自己分析しているが、国会における野党の質問にやじを飛ばし発言を妨害ことは首相の得意とするところであり、ここにおいても自分の欠点を忘れ他人を攻撃するとは情けない。しかし、帰れコールと叫ぶ人々に向かって”共謀罪の適用だ”と言わなっかただけでもまだ感情を抑える冷静さが残っていたのであろう。
また、稲田朋美防衛相は6月27日、東京都板橋区で行った都議選の自民党公認候補の応援演説で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をしたとのことだ。防衛相が自身の地位に言及して所属政党の公認候補への支持を呼びかけるのは、自衛隊の政治利用であり憲法違反である。
このように首相を始め政府高官の失言が目立つが、自民党二階幹事長は「言葉一つ間違えたら、すぐにいろんな話になる。どういうつもりで書いているか知らないが、お金払って(新聞などを)買ってもらっていることを忘れては駄目だ」と述べ、言葉尻を捉えたり、上げ足をすぐに取るマスコミの態度を批判した。
マスコミの役目は真実の報道であろう。そのため少ない材料から真実を突き止めるために、言葉尻を捉えたり、上げ足を取ることも理解できる。政治家はそうならないように、常日頃から丁寧な説明を心がけなくてはならないだろう。幹事長は首相に対して、丁寧な説明とは単に丁寧な言葉を使うことでは無いと、丁寧に説明しておいて欲しいものだ。
一方、5日付で国税庁長官に就いた佐川宣寿前財務省理財局長は、森友問題をめぐる国会答弁で野党側の追及をノラリクラリはぐらかし、余計な発言は一切せず、言葉尻を取られられることなく、追及を乗り切った。何かの質問に対し、記憶にありません、と自信たっぷりに言い切るのには違和感を感ずるが、これではマスコミもお手上げ状態であろう。佐川氏は政治家にとって官僚の鏡であろうが、国の財産を格安で払い下げ、国に損害を与えた罪の一翼を担ったのは国賊ものである。
原子力規制委員会の田中委員長が7月6日、福井県高浜町を訪れた。地元住民らと意見交換の中で、原子炉にミサイルが撃ち込まれた場合の安全性が話題になったようだ。北朝鮮のミサイル発射実験が頻発に行われている折から住民が心配するのは当然である。
田中委員長は原発は航空機の衝突に耐えられる安全対策がなされていると説明しつつ、北朝鮮のミサイルの脅威について、原発を狙うより東京のど真ん中に落とした方がいいんじゃないかと述べたそうだ。会の終了後マスコミの追及にあい、不適切であったと陳謝したようだ。
何故に陳謝したのか分からないが、マスコミの執拗な追及に面倒くさくなったのであろう。マスコミは大勢で言葉尻を取らえて追及するのは得意である。恐らく東京に落とされるとの予想が不謹慎との指摘であろうが、北朝鮮からすれば、ミサイルの命中精度が上がったとは言え、小さな原子炉を狙うより、広い東京に落とした方が、日本に損害を与える確立が高いと判断するのは当然だ。
問題は、安全対策がなされていると言っても、衝突する航空機の大きさや、原子炉の何処に当たるかによって変わってくるであろうが、明確にされていたのであろうか。更に問題であるのは将来の高浜町の在り方である。未来永劫原子炉に頼って生活できるわけではない。マスコミは本質の議論より、話題つくりに夢中である。この件に関しては報道陣の取り組みが問題視されるべきである。
余談であるが、帰れコールの人々の顔写真は既に記録されどこかに登録されていることであろう。一般の人々は共謀罪の対象にはならないと首相は明言しているが、一般人であるかないかを調べることは当然必要となるからだ。最近のカメラ技術と画像処理技術の進歩は著しく、膨大な顔写真は当世流行のビッグデータだ。2017.07.15(犬賀 大好-355)
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